9月16日の対広島戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)で7回2/3を投げ1失点8奪三振で勝利投手になり2年連続2度目の規定投球回に到達した[57]。10月2日の対ヤクルト戦(神宮)で右肘靭帯損傷をしてしまい2回無失点1奪三振で降板した(チームは勝利)[58]。これが最終登板になり成績は158回2/3を投げ、12勝5敗、勝率.706、防御率2.33、122奪三振、3完投で平成生まれ初の最優秀防御率を獲得し、自身2度目となるチームのリーグ優勝に貢献したが、怪我の影響でポストシーズン(ファイナルステージの対阪神戦(東京ドーム))の登板は叶わなかった[59]。その結果、自身の不在は大きく響き、チームはCS史上初の4連敗をし、アドバンテージを含めた1勝4敗で敗退した。それでもリーグ優勝に貢献したことが評価され、平成生まれ初の最優秀選手を受賞。さらに投手部門での平成生まれ初のベストナインを受賞し、阿部慎之助と共に最優秀バッテリー賞も受賞した[60]。その後怪我の影響もあり11月の日米野球の代表にも選ばれなかった。契約更改で4000万円増の年俸1億1000万円でサインした[61]。, 2015年、3月28日の対横浜DeNA戦(東京ドーム)で2年連続2度目の開幕投手を務め、7回1失点5奪三振でシーズン初勝利を挙げた。また去年までバッテリーを組んでいた阿部慎之助が怪我の影響で一塁手にコンバートされた為、小林誠司とバッテリーを組んだ[62]。5月19日の対阪神戦(甲子園)で入団3年目にしてレギュラーシーズンでの自身プロ初完封勝利(3奪三振)を記録した。5月26日の対埼玉西武ライオンズ戦(郡山)で9回1失点(自責点0)9奪三振で完投勝利を挙げるが[63]、5月31日に首痛のため登録抹消した。6月10日の対北海道日本ハムファイターズ戦(札幌ドーム)で復帰し、7回3失点4奪三振の好投するも敗戦投手になった[64][65]。 しかし、9月4日の対中日戦(前橋)で腰痛が再発し、2回4失点2奪三振で敗戦投手になり翌日に登録抹消された[149]。9月15日の対阪神戦(東京ドーム)で再度復帰するも腰痛が再発し4回4失点4奪三振で降板。その後試合はチームメイトのアレックス・ゲレーロの逆転ホームランなどもあり自身の黒星は消え、チームは勝利し優勝マジックも減ったが、翌日登録抹消した[150]。この試合がレギュラーシーズン最後のマウンドとなった。最終的に11勝を挙げ自身3度目となるチームのリーグ優勝に貢献するも、防御率は自己ワーストとなる3.89、奪三振数も自己最少となる120奪三振で、入団から6年連続で満たしていた規定投球回もあと6回2/3足りず逃した[151]。成績は136回1/3を投げ、11勝6敗、勝率.647、防御率3.89、120奪三振、3完投、1完封だった。クライマックスシリーズファイナルステージの対阪神戦(東京ドーム)では腰痛の影響で登板を回避するもチームはアドバンテージを含んだ4勝1敗で日本シリーズに進出した。0勝3敗で迎えた10月23日の日本シリーズ第4戦の対福岡ソフトバンク戦(東京ドーム)に先発し、和田毅と投げ合った。4回にジュリスベル・グラシアルに3ラン本塁打を打たれるがその後も好投を続けるも、7回には味方の2失策により失点をし、6回1/3を投げ4失点(自責点3)8奪三振で降板。チームも3対4で試合に敗れ、自身も敗戦投手になり、チームは0勝4敗で日本一を逃した[152]。国内FA権を取得したが巨人に残留を表明した[153]。 11月のプレミア12は腰痛の影響を考慮され日本代表メンバーから外れた[154]。契約更改は前年と同じく年俸6億5000万円で現状維持となった[155]。, 2020年から投球フォームを変更した[156]。オープン戦では17回を投げ3失点、防御率1.59、10奪三振と安定したピッチングを続けていたが、新型コロナウイルスの影響でシーズンの開幕が6月に延期された[157]。また自身も代表入りを目指していた2020年7月開催の東京オリンピックも2021年7月に延期[158]、シーズンの試合数も143試合から120試合に短縮され[159]、セ・パ交流戦、オールスター、セ・リーグクライマックスシリーズの中止も決まった[160][161]。6月19日の対阪神戦(東京ドーム)で3年連続自身6度目の開幕投手を務め、7回2失点8奪三振の内容でシーズン初勝利を挙げた。これが自身の開幕戦通算4勝目となり、別所毅彦、斎藤雅樹と並ぶ球団史上最多タイ記録となった[162]。またこの勝利が球団通算6000勝の記録になった[163]。開幕戦では小林誠司とバッテリーを組んでいたが、小林が怪我で抹消された為、自身の2登板目からは大城卓三とバッテリーを組む事となった[164]。7月3日の対中日戦(東京ドーム)で9回無失点11奪三振の内容でシーズン初完封勝利した[165]。7月14日の対広島戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)で5回無失点5奪三振の内容で勝利投手になり、6回を投げずに勝ち星を手にしたのは自身プロ入り後初となった[166]。6・7月は6試合に先発し42回2/3を投げ5勝無敗、防御率1.69、46奪三振、2完封の成績で月間MVPを受賞。中でも7月の成績が4戦4勝、30回を投げて2失点(自責点1)、防御率0.30、34奪三振で、2リーグ制後に月間防御率0.30以下を2度記録したのは金田正一、村山実、田中将大に次いで史上4人目の記録となった[167]。また自身7度目となった受賞は松井秀喜に並ぶ球団史上最多タイ記録となった[168]。6・7月の月間最優秀バッテリー賞も大城卓三と共に受賞した[169]。8月は4試合に先発し30回を投げ4勝無敗、防御率1.50、21奪三振、1完封の成績で2ヶ月連続での月間MVPを受賞。8度目の受賞は球団史上最多記録となり、山本昌、川上憲伸と並ぶセ・リーグ投手最多タイ記録となった[170]。9月8日の対中日戦(ナゴヤドーム)で7回無失点6奪三振で4年連続7度目の2桁勝利となる10勝目を挙げた。また自身初のシーズン10連勝(無敗)での到達となった[171]。9月15日の対阪神戦(東京ドーム)で6回3失点5奪三振で勝利投手となり球団では1リーグ時代のヴィクトル・スタルヒン以来となる開幕投手11連勝を達成し、セ・リーグ新記録となった。開幕からのシーズン連勝記録もセ・リーグ史上2位タイ記録となった。また、この勝利でチームの優勝マジックが点灯した[172]。9月22日の対広島戦(東京ドーム)で8回3失点7奪三振の内容で勝利投手になれなかったが(チームはサヨナラ勝利)、プロ入り後自身最速となる156km/hを計測した[173]。9月29日の対広島戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)で6回1失点9奪三振の内容で勝利投手になり開幕投手12連勝を達成。これが岩隈久志と並ぶプロ野球最多タイ記録となった[174]。10月6日の対横浜DeNA戦(東京ドーム)で7回3失点4奪三振で勝利投手になりプロ野球新記録の開幕投手13連勝を達成[175]。開幕からの連勝記録も堀内恒夫と並ぶセ・リーグ最多タイ記録となった。また、この勝利が自身通算100勝目となり平成生まれ初の到達者となった(192試合目での100勝は歴代史上7番目のスピード、ドラフト制以降では松坂大輔、上原浩治に次いで、史上3番目のスピード)[176][177]。10月13日の対広島戦(東京ドーム)で6回4失点(自責点3)5奪三振でシーズン初の敗戦投手になり連勝記録が止まってしまったが、2年ぶり7度目の規定投球回に到達した[178]。10月31日の対ヤクルト戦(東京ドーム)で5回1失点5奪三振で勝利投手となりチームの連敗を止め、翌日にコンディション調整の為、登録抹消された[179]。, スリークォーターから繰り出す、平均約148km/h[180]・最速157km/h(プロ入り後は156km/h[182])のストレート、平均146km/hのシュート、ツーシーム、ワンシーム[180][183][注釈 5]、平均131km/hの空振りが取れる[184]数種類[185][注釈 6]のスライダー[180]、平均約123km/hのカーブ[180]、平均約136km/hのカットボール[180]、平均約136km/hのフォーク[180][186]や真っスラ[187]など、多彩な球種を持ち球とする[188]。他にもオフの自主トレでシンカー[189]やチェンジアップ[190]も習得はしているが、試合では殆ど使用していない。, 主にストレート、シュート、スライダーの3球種で全投球の約8割を占め、中でもスライダーが高く評価されている[191]。2015年のオールスターで前田健太からスライダーを教わり、本塁から7メートル前後で突然曲がり出すスライダーを投げられるようになった。菅野のスライダーは投げてから途中までストレートと同じ軌道で進み、ストレートの軌道とスライダーの軌道の差がボールが曲がりだす位置の差を直径とした「ピッチトンネル」と呼ばれる穴が狭い為、打者は球種の見分けが難しくなりバットに当てられる確率は低くなっている。また、バッテリーコーチの相川亮二は菅野のスライダーを岩瀬仁紀のスライダーとイメージが重なると評している[192]。, プロ入り1年目の2013年のストレートの平均球速は144km/hで[193]デビュー当初はグラウンドボールピッチャーだったが、2016年以降はパワーピッチャーに移行している[194]。投球スタイルを変える前に能見篤史から「何であんなにストレートが良いのに、変化球ばっかり投げてるの?」と言われストレート主体にした方が良いとアドバイスを貰っている[195]。, 2015年オフにワンシームを習得している。また指力を鍛えたことでスピンが増し、ストレートの質が上がった[196]。2017年WBCの準決勝・アメリカ戦、この試合のストレートの平均回転数は2,513rpm、またカーブも平均2,859rpmを計測し、メジャーの平均値より上だった[197]。, 2016年11月の日本代表の強化試合で武田翔太からチェンジアップの握りを教えてもらい、前後の奥行きを活かすためにチェンジアップを習得した[198]。, 2018年オフから球威を上げる為に上体の力を抜き、体をムチのようにしならせ、パワーをよりボールに伝える「脱力投法」を取り入れている[200]。, 2019年オフから千賀滉大や上野由岐子と共に「鴻江スポーツアカデミー」が主催する合宿に参加し、自身の「うで体(猫背タイプ)」の骨格に合わせた新投球フォームを取り入れた[201]。投球フォームを変えたことにより腰の負担の軽減と共にストレート、スライダー、フォークの平均球速が上がった[202]。また、前年に腰痛で苦しんだ為、スポーツトレーナーの鴻江寿治から投球フォームを変える事を提案され悩んでいる時に上野から「今年は本当に変えるときだと思うよ。変えていかなきゃダメ。やってみないと。ダメなら元に戻せばいいんだから」とアドバイスを貰っている[203]。, 野球を始めた頃は内野手をしていたが祖父である原貢に膝の関節と股関節が固いから内野手には向かない事と、手足が長くて体型はピッチャー向きと言われ投手に転向した[204]。, 巨人に入団した当初から制球力を高く評価されており[205]、自らも「試合でボールがコントロールできずに困ったことはほとんどない」と豪語する[7]。一例として2016年シーズンを挙げると、制球力を示す与四死球率(1.47)やK/BB(7.27)が、いずれもセ・リーグ1位(規定投球回以上)を記録している[206]。浪人中の2012年にはMLBのテレビ中継に没頭し、グレッグ・マダックスの「27球で27個のアウトを取る」という考えが理想になったという[24]。また、ロイ・ハラデイの投球を見て「ピッチングはやっぱりコントロール」と再認識したといい、浪人中はボール1個分の出し入れができる制球力を目指して練習してきたという[24][207]。巨人の公式インスタライブでコントロールを良くする方法を聞かれると「僕は昔から壁当てをしてた。壁が小さくて、そこに当てないと奥の森に取りにいかないといけなかった。自然と当てようとしたらそういうフォームになった」と語っている。腕の使い方は球の出どころを見えにくくする為にテイクバックを小さくして、前を大きくするのを基本とし、肘から先の使い方を特に大切にしている[208]。, 球種に関して菅野自身は「覚えようと思って覚えられなかった球種はない」と述べ[209]、シュートは雑誌で涌井秀章の握りを見てすぐに使えるようになったという[7][210][211]。一方で、2013年に、原辰徳からは、小技に頼らず「もう少し、力投派、速球派という部分でマウンドに上がるべき」と課題を指摘されていた[212]。, 思い通りに球速を操る感覚も優れており、自身が投じるボールの球筋を見て、まず球速を「138キロ」と予想し実際に「138キロ」でピタリと球速を言い当て、続いて投じたボールの予想は「137.5キロ」で小数点以下までピタリと言い当てた。さらに投げる前に球速「140.3キロ」を宣言してボールを投げると球速「140.3キロ」を計測するなど驚異的な感覚を発揮している[213]。また球速について、アマ時代は「160キロ」投げたいと思っていたがプロ入り後は「良いボールを投げる寸評会じゃないので。抑えたピッチャーが偉いと思うし、どんなに良いボールを投げても打たれたら元も子もない。野球ってそういう競技。野球でお金をもらうということは自己満足だけじゃどうにもならない」という考えになった[214]。, 俊敏な牽制やフィールディングの技術も備えておりゴールデングラブ賞も3回受賞している[211]。, 打撃にもこだわっており、持論は「投手は投げるだけじゃない」で[215]、2016年は投手でありながら打率.222(54-12)を記録している[216]。2017年12月には「本塁打を打って、1-0で完封したいですね。それはもう、僕の夢ですね」[217]と述べている。, グラブとスパイクはミズノ社製を使っており、グラブの革は薄めで柔らかく、投球のときに握りやすいものをチョイスし、フィールディングのときに、ボールが出ないように、あとは型崩れもしにくいという理由で絶対に縦とじである。スパイクは負担や疲労の軽減、衝撃緩和のために「ミッドソール」と呼ばれるクッション性の高い素材が、かかとからつま先まで入っており、硬いマウンドが多い為、それに耐えられるだけのものを選んでいる。またスパイクの刃も多く、一般的に、投手は足の前方部分に3本、後方部分に3本の刃を配置する人が多いが、菅野のは土をつかみやすく、硬いマウンドに刺さって安定性が出る「IQソール」と呼ばれるものが使用されており、つま先部分に1本、その下に3本、足の中心部分に2本、かかと部分に2本と、計8本の刃が付いている。さらに刃の長さは体重移動のときに引っかからないように左足の中心部分にある3本の刃のうち、内側にある2本を半分ほど削っている。これにより緩やかな傾斜になっているマウンド上で投球において重要な体重移動の際に、引っかからず、しっかりとパワーを伝えられるようになっている[218]。, 配球に対しては、「よく配球と言いますが、配球って正解があるようでないというか。僕としては捕手のリードで抑えることはあっても、リードで打たれることってあまりないのかなと。投手がしっかり投げれば抑えられる。打たれたら投手の責任です。捕手の球種のサインに首を振る権利もある訳ですから」という考えである[219]。, 漫画家の寺嶋裕二と対談し「理想のエース」について質問された際は、周りが求めていることに、そのつど応えていく。その日その日で、今日はいけるところまでいってみる。それでチームメイトが、「お前がマウンドを降りる時は、チームが負ける時だ」と言ってもらえるような投手と答えている[220]。, 野球解説者の野村克也は、菅野を「自分をわかっていて、頭を使える投手」と評している[221]。特に2018年のクライマックスシリーズでのノーヒットノーラン達成時の投球を見た際は「ピッチングと会話ができる投手。これ以上に楽しい投手いないよ。俺も引退したけど、受けてみたくなる投手。」と賛辞を送った[222]。このノーヒットノーランに関して菅野自身は巨人の公式インスタライブに炭谷銀仁朗と出演した際に「インパクトは強いかもしれないけど達成感はあまりなくて。そのくらい調子が悪かった。丁寧に投げようとは思っていたけど最後まで球は切れていなかった」と告白。このシーズンは登板間隔が短いことが多く、疲労困憊の状態だったという。次の登板も見越して斎藤雅樹投手コーチに「しんどい」と打ち明けたが「ヒット1本も打たれてねーぞ」という返しだったため、捕手の小林誠司に「ヒット打たれないと代えてもらえないから早めに打たれようぜ」と告げたエピソードを披露し、炭谷も「珍しいパターンのノーヒットノーランやね」と驚いていた[223]。, 東海大監督の横井人輝は「指先の感覚が今まで見てきたどの投手よりも優れている」と評している[7]。, 打撃コーチの伊勢孝夫は菅野のピッチングの特長に関して、失投が極めて少ない、集中力の持続がほかの投手と大きく違っている、外角低めへのコントロールがずば抜けているなどを挙げている[224]。, 野球解説者の野村弘樹は、実況アナウンサーに「エースは12球団いますが、そのなかで菅野は抜きん出る時代がありました。その辺りはどう感じていますか?」と質問された際「菅野というピッチャーはエース中のエースという話になりましたけど、責任感であったりいろんな要素があると思います。投手力という意味では、全てを備えたピッチャーだと思いますね。プレーのなかでいうと、自分の投げるボール、球種もそうですし、そのなかにクイック、フィールディング、牽制、いろんなことがあるじゃないですか。本当のエースと呼ばれる人間は、グラウンドの投げていないときもそうですし、ベンチにいるとき、普段の行動もいろんな要素が出てくると思うんですよね」とエースとしての菅野を評価している[225]。, 伯父の原辰徳は菅野が2年連続で沢村栄治賞を受賞した際「トモはね、投手として、プレーヤーとしては僕の現役時代をもうとっくに乗り越えた選手になっていますよ」と語っている[226]。, ダルビッシュ有がTwitterユーザーから「平成最強の投手は?」と質問され、ダルビッシュは「上原さん、松坂さん、斉藤和巳さん、杉内さん、和田さん、田中将大、菅野智之はじめすごい投手が良すぎて1人は決められないです」と返し、菅野の名前も挙げている[227]。, 「原貢の孫、原辰徳の甥」という立場については「いやなことのほうが多かった」と言い、「そこは自分の中のモチベーションでもある。『菅野智之』として認められることを、ずっと目標にしています」と語っている[7][211][228]。高校3年時には周囲からプロ入りも勧められていたが「原監督の甥だからプロに行けたと思われるのがイヤだったんです。大学で文句なしの実力をつけてプロに行きたい」として進学を選んだという[7][228]。伯父のもとでプレーすることについては、2011年のドラフト会議後に「小さい頃には一緒にできたらいいなというくらいしか思ってなかったのが、大学にいってある程度実績を残せるようになって、それが夢ではなく現実となるように自分の中で思い描いていたのはある」と語った[229]。, 子供の頃の憧れ選手を聞かれた際に菅野は「上原さんですね。テレビで見ていてほんとにすごいと思ったし、僕もあんな投手になりたいと思っていましたよ」と答え、上原浩治の名前を挙げている[230]。, 巨人の公式インスタライブで視聴者からの「野球選手じゃなかったら?」という問いに対し、菅野は「ゾッとする。小さい頃、仮面ライダーになるって言ってたけど、野球始めてから野球選手になれると勝手に思ってた。他の夢を考えたことがなかった」と明かしている[231]。, 性格は負けず嫌いで、子供の時に駆けっこで1位になれなかったり、ゲームで負けると悔し泣きするほどだった[232]。, プロ入り後は、毎年ハワイで自主トレを行っており、巨人の中川皓太や阪神の西勇輝などと共にトレーニングをしている。また過去には西村健太朗、田口麗斗も参加していた[233][234][235]。, 野球を始めた小学生の時から体を大きくする為に、もう食べられないという状態からでも何杯もご飯をおかわりし食べていた[237]。プロ入り後の食事はシーズン中の体調を良くする為に「グルテンフリー」を取り入れており、小麦粉や麺類、揚げもの、乳製品などを摂取しないようにしている[238]。, 同い年の小林誠司とバッテリーを組むことが多く、小林と組む時はメディアで「スガコバ」の愛称で呼ばれている[239]。, 日本の高校野球に関しては球数制限を設ける、木製バットの使用、タイブレークを延長戦に入る10回表から導入するべきの考えで、球数制限によってピッチャー1人1人の適性を生かした役割が明確になり最大限に力を発揮することにつながる、早い内から木製バットに対応する事で野球界の技術の底上げなどのメリットを挙げている[240]。, スポーツではゴルフも趣味としており、大学4年時にはベストスコア100を記録した[241]。, 2015年にアンダーアーマーのテレビCMに高橋由伸、阿部慎之助、長野久義、坂本勇人、大田泰示と共に出演した[242]。, ゲームもよくやっており、城とドラゴンの公式動画にゲストで出演している[243]。他にもプロ野球スピリッツや実況パワフルプロ野球の公式動画にも小林誠司と共に出演している[244][245]。, 『クレイジージャーニー』のファンで、キャリーバッグにはクレイジージャーニーのステッカーを貼っている[247]。, 千日回峰行を達成した塩沼亮潤を尊敬している。千日回峰行について「いやもう想像を絶するというか、自分たちも高校野球の練習とか、死ぬほどきつかったりとかありましたけど、これはできないなと思いました」とコメントしている[248]。自身がプロ通算100勝を達成し巨人の後輩たちからお祝いされた際、塩沼から動画でお祝いメッセージと共に、塩沼がしたためた書をプレゼントされている[249]。, 好きな食べ物はチャーハンで「普通の町中華のチャーハンみたいなの好きで。ふらっと遠征先とかでも行くし、家の近くのけっこう年季の入った昔ながらの中華屋さんにふらっと一人で入っちゃう。チャーハンだけパクっと食べて出てきます」と語っている[250]。, 毎年母の日に母、祖母、親戚の叔母などお世話になっている人にカーネーションを送っている[254]。, 社会福祉活動では、2014年から毎年クリスマスの時期に他の巨人の選手たちと共に神奈川県伊勢原市にある東海大学医学部付属病院に行き、病室を回って入院中の子供たちにサインや写真、ジャイアンツグッズの入ったクリスマスプレゼントを渡すなどの活動をしている[255]。, 2020年4月24日に新型コロナウイルスの対応にあたっている医療従事者支援の為に原辰徳、阿部慎之助、坂本勇人、丸佳浩らと共に各1000万円ずつ計5000万円を東京都に寄付した[257]。5月6日に緊急事態宣言で小・中学生の練習自粛や大会中止をうけ、中学生以下の子ども対象に巨人の公式Twitter上でものまねコンテストを開催し巨人選手(OB含む)の走攻守におけるものまね動画を募集。菅野自ら審査委員長となり、選定100人に選手直筆サイン入りグッズをプレゼントする企画を立ち上げている[258]。8月18日には新型コロナ対策担当大臣の西村康稔の公式Twitterで感染拡大防止のメッセージ動画に丸佳浩、岡本和真、田口麗斗と共に出演した[259]。9月1日から2021年3月31日までの任期でサッカー選手のアンドレス・イニエスタ、お笑いタレントの西川きよしと共に日本政府の「コロナ対策サポーター」に就任した[260]。, ノーヒットノーラン達成投手のみ記載。完全試合達成投手についてはTemplate:日本プロ野球完全試合達成者を参照。, ただし本人は後のインタビューで「(当時は)幼稚園児だったので具体的には覚えていない。それがきっかけというのは少し“作り”が入っているかもしれない。しかし、引退式を見たことは覚えている。ああいう人になりたいなと思った」と語っている。, なお、在籍時にチームは甲子園出場(2006年の選抜)をしているが、その時にはベンチ入りできなかった。, 日本の野球協約では「一度入団拒否をされた選手を再指名するには本人の同意が必要」だとされているのだが、「進学その他の事由により、その選手が再び就学した場合はそれに該当しない」との記述もあり、浪人して東海大に籍を置き続けている菅野は「再就学」に相当するので、本人の同意が無くとも再指名が可能だと日本ハム側は主張していた。.