航続距離:約7100km 2019/8/18

新明和も開発費を回収できてないし、国内の航空機産業の継続にも繋がる。, 残念ながら製品寿命が短かく非常に高価な機体なんだよね。 なお、us-1は日本が開発・実用化した初の「水陸両用機」であり、離着陸が可能な降着装 … ガチで愚民国家の典型例やで「飛行艇って何?」とか「ジェットついてる方が凄くね?」とかそのレベルの発想しかない奴が多すぎ。 全備重量:約25000kg

飛行艇大国日本が生んだ世界的名機・2式飛行艇 飛行中の2式飛行艇。 本機は日本が実用化に成功し、さらに第二次大戦における実戦で、相応の活躍ぶりを示した唯一の4発機である。 飛行艇大国日本が生んだ世界的名機・2式飛行艇 飛行中の2式飛行艇。 本機は日本が実用化に成功し、さらに第二次大戦における実戦で、相応の活躍ぶりを示した唯一の4発機である。 いや侮辱じゃなくてほんとだから。, 元々共産圏への武器輸出はしないとの主旨のものがいつの間にか日本は武器輸出をしない、できないとされていた。同じ敗戦国のドイツは議会の審査がもちろんあるにして世界へ武器を輸出している。日本も友好国へ武器を輸出することはその国を助けることなる、各国が自国の軍事予算を抑える為に兵器共同開発は当たり前の時代, 〉インドが高額な兵器を持つ意味があるのかな?インドには貧困にあえぐ人々がまだ沢山います。原爆を持つ限り、インドを攻める国はないでしょう。でもねインドは中国と国境線をめぐって戦争をしている。今の時代全面戦争はリスクが高すぎて起こらないかもしれない、でも局地的な戦争は十分に起こり得る。日本国内でも中国がなぜ日本に攻めてきますか?戦争など起こらないでしょうと言う人もいます、しかし尖閣諸島をめぐる局地的な戦争の可能性は低くないと言うことです、それがまったくないと思うから頭がお花畑と言われる。軍事政権だったアルゼンチンが突如フォークランド諸島を占拠して起こったフォークランド紛争を日本人は今一度見返してみるべきだと思う。, 次回のコメントで使用するためブラウザーに自分の名前、メールアドレス、サイトを保存する。. 哨戒機からの転用だったps-1と比べ、救難機として再設計されたus-1aは優れた飛行艇であったが、顧客である海上自衛隊からは、離着水時の操縦性、患者輸送環境、洋上救難能力の改善・向上などが要求されていた。. 全高:9.17m 二式飛行艇(にしきひこうてい)は、大日本帝国海軍の飛行艇。初飛行は1941年(昭和16年)。略符号は「H8K」。レシプロエンジン装備の飛行艇としては、当時世界最高の性能を誇る傑作機とされる 。二式大型飛行艇とも呼ばれ、二式大艇(にしきだいてい)の通称も持つ。なお、輸送型は「晴空(せいくう)」と呼ばれていた。九七式飛行艇の後継機として、同じく川西航空機で生産された。 連合軍におけるコードネームは「Emily(エミリー)」 。 波高の問題より滑水距離が長過ぎるんだ。 日本の魅力を発掘するだけでなく、他国の環境・法律・文化などを見て、いかに日本が素敵な国かを見直すサイトになります。, 実は第二次世界大戦中の時点で、日本の飛行艇の技術は世界トップレベルでした。この時に開発された海軍の二式大艇の技術を継承するUS-2は世界中の注目を浴びています。, 日本は小さな島国だと思っている人は多いです。確かに日本の領土は世界で62位(0.25%)しかありません。けれど、排他的経済水域を含む領海では世界第9位なのです。, さらに第二次世界大戦までの日本の領土と海域は現在よりも遥かに広く、南洋群島(パラオやサイパン、マリアナ諸島など)も日本統治下だったのです。, このように広い海域を有してきた日本は戦前から飛行艇を発達させてきました。飛行艇というのは船と飛行機を一体化した乗り物。機体の下部が船のようになっていて、水面に着水することができるのです。, 戦時中には二式大艇と呼ばれる名機もありました。当時のアメリカの飛行艇PB2Yは最高速度が360km/h、飛行距離3,717kmであっと事と比較すると、二式大艇の性能(最高速度465km/h、飛行距離7,153km)は桁違いだったのです。, 戦後、日本は二式大艇譲りの凌波特性を持つPS-1を開発します。その後、水陸両用で離着陸が可能なUS-1、その後継機のUS-2に発展していきます。, US-2は洋上・対潜哨戒の役割よりも、救難救助に特化した飛行艇です。着水・離水の距離が非常に短いのです。40t以上もあるUS-2がなんと90km/hという超低速で飛行ができるのです。また3mの波の海でも離着水ができます。, この2つの驚異的な特徴が狭い場所でのUS-2の離着水を可能にしているのです。陸地や船、漂流者の近くに着水する際はとても役立つ性能なのです。, 戦後長い間、日本は武器輸出が制限されてきました。近年これを緩和して、日本の初の国産軍用機の輸出を目指しています。, 飛行艇の導入を検討しているインドは日本のUS-2とロシアのBe-200を候補にしています。Be-200はジェットエンジンを2機搭載しており、最大速度がUS-2より120km/h早いのです。, 目的地まではUS-2よりも早く着きますが、Be-200は1.2mの波までしか着水ができません。今のところは日本のUS-2が最有力候補とは言われています。その他インドネシアやタイなどもUS-2の導入を検討しています。, 海外でもUS-2は非常に注目されています。特に、インドではUS-2の特集番組が作られるほど話題になっています。, 駆け引き上手なインドは、インド国内でのライセンス生産も含めて、日本とタフな交渉をしていると言われています。また日本側の輸出制約も多く、最終的にUS-2に決定するか分かりません。, いずれにしても、インドは日本とUS-2の性能を高く信頼し、評価していることは間違いありません。, 武器輸出に関しては戦争を誘発すると危惧する人もいますが、逆に力の均衡を保ち、抑止力にもつながります。, また、救難救助活動により、多くの人々を事故や災害から救うことにもなるのです。山火事などの消火対応への活用も検討されています。US-2が世界中で活躍する日が早くきて欲しいですね。, (参考)http://thediplomat.com/2015/03/india-and-japan-inch-closer-to- surveillance-aircraft-deal/ https://en.wikipedia.org/wiki/ShinMaywa_US-2, 動画見たけど、こんなに遅いスピードでよく離陸できるなぁと思った。日本は海に囲まれているので、こういう飛行機はかなり役に立つだろう。, 低速域での安定性と凌波性はSTOL機能には直接関係しないはずなんですが またテッキトーな記事っすね Wikiの最初の方だけ見て書いたのかな, ロシアのBe200は海じゃ離着水出来ない。 飛行艇を製造している企業を有する国は日本、カナダ、ロシアの3カ国のみです。それぞれ大きさや特長は様々ですが、性能を比較してみると「us-2」の優位性が明らかになります。 搭乗員数:10~13名 大日本帝国海軍は、艦上偵察機、特に水上機や飛行艇に関して、優秀な機体を多く生産した。索敵に一役買ったのは勿論だが、大型飛行艇を攻撃機として使おうとした発想は日本海軍だけである。 US-1は、新明和工業が開発し、海上自衛隊が使用した飛行艇。コールサインはIVORY(アイボリー)。初飛行はPS-1の原型PS-Xによって、1967年(昭和42年)10月24日、PS-1改によって1974年(昭和49年)10月6日。, なお、US-1は日本が開発・実用化した初の「水陸両用機」であり、離着陸が可能な降着装置(ランディング・ギア)を装備している[1]。, 対潜哨戒機として開発されたPS-1は、その哨戒能力が時代遅れで、機体も問題が多かったために大量導入を見送られたが、機体は改修を重ねて世界的に通用するまでになり、これを多用途飛行艇化する計画が持ち上がった。その計画の一環として、新明和ではPS-X開発終了後の1971年(昭和46年)に、海上自衛隊の救難飛行艇として提案する基本構想をまとめ上げた。, 防衛庁は1972年(昭和47年)と1973年(昭和48年)に「水陸両用救難飛行艇」として計3機の試作機を発注し、開発が始まった。PS-1の対潜装備の代わりに救難機器を設置し、陸上離着陸能力(ランディング・ギアと、その収容バルジの装備など)を持たせた。試作機PS-1改(防衛庁の呼称。新明和では当初よりUS-1)が製作され、1974年(昭和49年)10月6日に初飛行を行った。初飛行では洋上への離着水であり、初の離着陸は12月3日に行われた。1975年(昭和50年)3月5日に1号機が納入され、1976年(昭和51年)6月に部隊使用が認められ、救難飛行艇「US-1」と名づけられた。, その後、試作を含めて6機のUS-1(シリアルナンバー:9071〜9076)が製作され、1981年(昭和56年)製の7号機(9077)からはエンジンをT-64-IHI-10E(3,060馬力)からT-64-IHI-10J(3,493馬力)に換装したUS-1Aとなった。9071、9073〜9076号機も順次エンジンが換装されUS-1Aとなった[2]。, 直線翼の中型機であり、水平尾翼を垂直尾翼の上に配したT字尾翼を採用した。主翼端にはフロートが装備されており、艇体には消波機構がある。エンジンは石川島播磨重工業(現・IHI) でライセンス生産したターボプロップエンジン4基を搭載している。なお、境界層制御装置(BLC)制御用にガスタービンエンジンも別途搭載している。機体の大きな特徴は、機首に立っている迎え角や偏流のセンサーマストである。, 波高3mの荒れる海への着水が出来るほか、時速50〜53ノット(時速100km程度)で離水可能な短距離離着陸(STOL)性能を有している。60度という深い角度を持つフラップと、翼表面の気流が滑らかに流れるようにする境界層制御装置(BLC)が、この低速離陸・離水性能を実現した。滑走路を持つ基地での航空祭でも驚くほど低速かつ短い滑走で離陸する様子を見ることができる。, 主脚は陸上離着陸のためにPS-1より強化・大型化され、胴体側面に追加されたバルジに収容される。最適化のため多数の案を検討し、実物大モックアップで実証実験を行うなど研究を重ねた[3]。, 機体には捜索用レーダとして、初期生産型はAN/APS-80、後期生産型はテレフンケン社とトムソン-CSF社が共同で開発したXバンド・レーダであるオーシャン・マスターが搭載されている[4]ほか、着水海域の波高が着水性能(波高3m)以内であることを確認するために、世界で唯一の航空機搭載用波高計(波高測定専用の連続波FM-CWレーダー)を搭載している。機体キャビンには12名分[5]の担架を収容できるが、機内はコックピットを除いて与圧されていない。このため、気圧維持の為に高高度をとれず、また低気圧下での飛行は避けなければならないため、飛行計画は気象条件に左右される。, 海上自衛隊岩国航空基地所属の第31航空群第71航空隊に7機が配備され、そのうち1機を厚木基地に分遣隊として派遣していたが、現在は後継機のUS-2の配備により徐々に運用機数を減らしている。乗員には機上救護員などの救助要員も含むために、12名と多くなっている。, 飛行艇の有利な点として、洋上での発着が可能なことから、飛行場の無い離島へもアクセスできること、ヘリコプターより長い航続距離と、ヘリコプターや船舶よりもはるかに高速であることがある。US-1はこれらの利点を最大限に活用した機体である。, 救助要請を受けると、US-1は哨戒機(P-2J、P-3C)1機とペアを組んで基地を出発、まず巡航速度の速い哨戒機が進出し、レーダーやカメラ、目視で要救助者・船を捜索する。発見するとカメラで撮影、基地へ伝送すると共に、目印のマーカーを投下(必要ならば食料・飲料水と共にラフトを投下)、無線通信でUS-1へ位置、気象情報、海面の状況を伝え、現場へ誘導する。US-1は基地からも誘導を受け(遠距離の場合は哨戒機が中継連絡)、現場海域到着後、着水前に海面状況を航空機搭載用波高計で計測・確認する。二次遭難を避けるため、機体が損傷を受けない海面状況であることを確認した後に着水する。着水後、機体備え付けのゴムボートで要救助者を救出し、救助後も哨戒機の誘導・基地からの中継連絡を受けて帰還する。このように、US-1/1Aは哨戒機とペアを組むことを前提に開発された機体である。, 最初に製作された3機(9071〜9073)は第51航空隊岩国航空分遣隊で運用試験が行われ、1976年(昭和51年)7月1日に第71航空隊が隊員83名で発足して全機が移動した。7月12日に銚子沖東方300マイルで発生したギリシャ船乗組員の手首切断事故で初出動、海上から羽田空港へ患者を空輸して命を救い、US-1の実用性を知らしめた。以降、機体は6機に増え、1981年(昭和56年)に出動100回、同年にUS-1Aに機種転換され、1982年(昭和57年)3月から厚木に分遣隊を置いた。1997年(平成9年)に出動500回を達成、2017年(平成29年)12月に退役するまでの出動回数は患者輸送などが768件、洋上救難141件の計909回で、827名を救助している[6]。, 海自の機体は潮風に影響されることで、ヘリコプターなどは概ね寿命が短いが、US-1も荒波への強行着水など、過酷な運用ゆえに機体の消耗は激しく、15年ほどで寿命を迎える。後年はおおむね1年に1機退役、1機が新製され、常に6〜7機が稼動する状態を維持してきた。, 1991年(平成3年)からの03中期防では後継としてオスプレイの調達が決定され、US-1Aは調達終了の予定だった。しかし、当時オスプレイの開発はメーカーのベルとボーイングにおいても複数回の試作機全損を出すなど難航を極め、実用化・調達の目処も立たないとして結局US-1Aの生産が再開されることになった。新明和は、この事態を受け『US-1A改』のコードネームで事実上の後継機開発に着手した。, 再生産に当たって、新明和・甲南工場は100社以上の関連企業に部品の生産再開を依頼したが、一度は生産終了を伝えた後だったため、資材担当者は関連企業から苦言を呈されたという[7]。次の08中期防ではオスプレイが低率初期生産に入っていたこともあり、その次の13中期防を見越したUS-1A改の指名獲得が優先され、US-1Aの調達予定は当初なかった。しかし、US-1A改の開発が防衛庁と富士重工業の間の汚職発覚によって遅れたため、1999年(平成11年)度に1機を発注。これが2001年(平成13年)度に納入されたUS-1からの通算19号機(9089)で、この機体を持ってUS-1計画は完了する予定だった。, ところがUS-1A改の試作機の組み立ても遅れ、2002年(平成14年)度に退役が予定されていた機体の代替が間に合わないことがわかった。防衛省は急遽1機を追加発注し、通算20号機(9090)が2005年(平成17年)2月22日に納入され、US-1Aの生産は終了した。, 1992年1月23日にはUS-1A(9081)が東京から約1166km沖合で三沢基地所属のF-16から緊急脱出したパイロットの救助に派遣された。現場での猶予が30分と余裕のない任務であったが救助に成功した。なお救助されたパイロットは後に在日米軍司令となるジョン・ドーラン空軍中将だった[8]。, 1994年2月の小笠原行幸啓では、目的地に飛行場が無く船舶では時間がかかるため海上自衛隊のUS-1Aが使用された[9]。, 2010年(平成22年)8月12日、海上保安庁から災害派遣要請を受けたUS-1Aが、急病(胃に穴が開き出血)となった韓国海軍のイージス艦・世宗大王級駆逐艦の乗組員1名を宮城県金華山 沖880kmの海上で収容し、厚木基地に搬送した。これは自衛隊が災害派遣要請を受けてアメリカ軍以外の外国兵を搬送した初の事例であった[10]。, 2017年12月13日、最後の1機が、最終飛行を行い、山口県の岩国航空基地で任務を完了、全機が退役した[11]。, 前身のPS-1も車輪を備えているが、これは地上走行、あるいは水面との行き来に用いる「ビーチング・ギア」であり、離着陸用としては使用できない。, http://books.google.co.jp/books?id=4S3h8j_NEmkC, http://www.yomiuri.co.jp/local/yamaguchi/news/20171213-OYTNT50163.html, 在日米軍司令官が命の恩人と再会 > Marine Corps Air Station Iwakuni-Japanese > News Article Display, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=US-1&oldid=79153684.