笑われて、ゴミのように扱われたことがすごく悔しくて、「絶対強くなってやる」と思いました。そのために、他の格闘技も学ぼうと考え、空手に加えて柔術もこっそり習いに行きました。毎日空手と柔術の練習に行って、週一で総合格闘技の道場に通い練習の成果を試す日々を繰り返していました。アマチュアのプロ査定試合に出場し、勝利した事で、33歳のとき総合格闘家としてプロデビューしました。 坂口 征夫ddtプロレスリング所属、坂口道場横浜代表、株式会社坂口組代表プロレスラー、会社・道場の経営と、並行して様々な活動を行う坂口さん。同時並行で複数事業を行なっている背景にはどんな思いがあるのか。お話を伺いました。 格闘技をしながらも、仕事は並行して続けていました。理解のある環境だったので、ありがたかったです。社長や従業員がチケットを買って応援しに来てくれたり、平日に試合が入ったときは試合を優先させてくれました。総合格闘家、会社員、道場の運営と3つの仕事を同時にこなす日々が続きました。 プロレスラー、会社・道場の経営と、並行して様々な活動を行う坂口さん。同時並行で複数事業を行なっている背景にはどんな思いがあるのか。お話を伺いました。, さかぐち ゆきお|DDTプロレスリング所属、坂口道場横浜代表、株式会社坂口組代表 プロレスと会社・道場の経営は一見バラバラの活動のようですが、実は全てが円になって循環させています。例えば、坂口組のお客さんがプロレスを観にきてくれたり、プロレスを観にきてくれた人が道場に通ってくれたり。また、プロレスラーとして知名度が上がり、経歴がネットに載っているため、会社でも信頼して仕事を任せてもらえることが増えるなど、良い相互作用が生まれています。 中学生になった時、父の勧めで柔道を習い始めました。将来プロレスラーになるためにも、柔道で力をつけたいと思っていました。 プロレスラーの坂口征夫(さかぐちゆきお)さんが、2020年2月16日にツイッターを更新。自身の弟で、芸能活動を休業している俳優・坂口憲二(さかぐちけんじ)さんと…(2020年2月18日 11時43分39秒… 総合格闘技をしていた頃は、ただ敵を倒せばいいだけだったので、お客さんは関係ありませんでした。しかし、プロレスでは360度お客さんに取り囲まれていて、自分のふるまいをコーナーに控えているところから全て見られています。ある意味で全員が対戦相手です。ただ勝つだけではなく、魅せ方も意識しないといけません。昔、父が「馬鹿にはプロレスはできない」と言っていましたが、実際に自分がプロレスのリングに立ってみてその意味がよくわかりました。 そんな中、自分よりも明らかに弱そうな相手に手も足も出ずに負けることがありました。これまで、喧嘩ではほとんど負けたことがなかっただけに、負けたときはものすごく落ち込みました。ただ同時に空手の奥深さを感じ、面白いとも感じました。次は絶対勝ってやると思って、また練習を頑張りました。 その結果、決勝戦に進出することができました。最後は体重判定で負けましたが、周りの人は自分が決勝戦までいくとは思っていなかったので、見る目ががらっと変わりました。自分の実力を出して見返すことができたのでうれしかったですね。その後、2回目の大会では優勝を果たしました。, 30歳のときに、父が柔道・総合格闘技・レスリングを教える道場を新しく建てることになりました。弟から、「資金面は父と自分が工面するから、兄貴はプロ選手になって活躍して、この道場を有名にしてほしい」と言われました。 プロレスをやるようになったことで、父の大変さや選手としての強さがわかるようになり、父のことを今まで以上に尊敬するようになりました。, 現在は、プロレスラーのほかに、会社と道場の経営をしています。平日は会社と道場、休日はプロレスの試合に出場するという日々を過ごしています。休みはほとんどないですね。と言うか、あえて作らないようにしています。空いている時間がもったいないし、暇だと何をしたらいいかがわからないんですよ。 坂口 憲二(さかぐち けんじ、1975年 11月8日 - )は、日本の俳優 。 東京都出身 。 身長185cm、胸囲99cm、胴囲83cm 。 活動休止前までケイダッシュに所属していた 無期限で芸能活動を休止している坂口憲二さんは、現在「コーヒー&サーフィン」をコンセプトに、ビジネスを展開されているそうです。, その後、難病が判明することとなりとても苦労されたと思うのですが、現在の病状はどうなのでしょうか?, 坂口憲二さんは1999年のドラマで俳優デビュー、その後「池袋ウエストゲートパーク」「医龍」など数多くの映画やドラマに出演されています。, (股関節を形成する大腿骨頭のまわりに血が巡らなくなり、壊死が生じてしまう原因不明の病気), 発見が早かったためすぐに手術を受け、しばらくは車いす生活だったということです(当時は歩くこともできなかったそうです)。, 仕事関係者に迷惑をかけること、待っている人に対しても申し訳ないという気持ちなどにより、, 病名が発覚してから、徐々にセカンドキャリアの道を真剣に考えるようになったそうです。, そのころはお芝居も、好きなサーフィンもできず、悩み苦しんだ時期だったと思われます。, そして選んだ道が、コーヒーロースターということで、バリスタ・ロースター(焙煎士)のプライベートレッスンを受けて焙煎技術を学んだそうです。, THE RISING SUN COFFEE & BEANS(@therisingsuncoffee)がシェアした投稿 – 2019年11月月29日午前1時57分PST, もともとコーヒーは大好きだったそうですが、アメリカオレゴン州のポートランドを訪問した際に、人々の生活にコーヒーが深く根ざしている文化に強く惹かれたということです。, 坂口さんは、「ありがたいことにすごくいい先生に出会えて、リハビリも頑張ったので足はかなり良くなりました。, 「病気で失うものもあったけど、得るものも本当に多く、子供ができ、新しい世界を見られてすごく楽しい、, リハビリ中のようですし痛みもあるのではないかと思いますが、インスタを見る限りではお元気そうでほっとしました。, 「The Rising Sun Coffee」というブランドで、九十九里浜の朝日をイメージしたんだそう。, THE RISING SUN COFFEE & BEANS(@therisingsuncoffee)がシェアした投稿 – 2019年 7月月17日午後8時53分PDT, オンラインショップも展開(The Rising Sun Coffee オンラインショップ)。, コーヒースタンドと販売スペースのみの小さな規模ということですが、今後はブランドのファンを増やし、拡大を目指していくそうです。, 地域密着型なので住所は非公開とのことですが、調べてきてくれる方もいて、それもすごくうれしいと語っていました。, 人気俳優だった坂口憲二さんが、芸能活動を休止して、闘病生活も続けながら新たなことにチャレンジするのは簡単なことではなかったと思います。, 坂口憲二さんのコーヒー&サーフィンshop 「The Rising Sun Coffee」, THE RISING SUN COFFEE & BEANS(@therisingsuncoffee)がシェアした投稿. — 坂口征夫 (@yukiosakaguchi) February 15, 2020 「坂口憲二」さんには、『DDTプロレスリング』に所属しているプロレスラーの「坂口征夫」さんがいます。 そんな「坂口征夫」さんのTwitterには、「坂口憲二」さんと撮った写真が。 日付も2月15日と、凄く最近ですね。 1999年にモデルとしてデビューし、その後は俳優としても第一線で活躍してきた坂口憲二さん。 現在はその難病と真正面から向き合い、治療に専念しています。 5月15日、坂口憲二さんがコーヒー焙煎士を務めるコーヒーショップ「the rising sun coffee」がインスタグラムを更新。 社内に空手をやっている先輩がいて、坂口もやらないかと誘われました。上司の誘いだからという理由でなんとなく道場に行き始めましたが、すっかり夢中になってしまいました。週のうち3、4日は仕事の後に道場に通いました。中学のころやっていた柔道とは違い、突きや蹴りができるのが新鮮で刺激的でした。それに、自分がプロレスラーの息子であることを誰にも言っていなかったので、特に注目も期待もされてなく、気が楽でした。 プロレスラーになってからは、父から「試合を観た」とか「頑張れ」といった連絡をもらうようになりました。たくさん会話をするわけではないですが、自分が出たDDTの試合は全部観てくれていて、素直にうれしく思いました。 © 2014 dot life, ltd. All Rights Reserved. 怒られるのかと思って行ったら、「この前の試合でプロレスの技を使っていたね。プロレスをやりたいんじゃないの?」と聞かれました。プロレスラーは子どもの頃からの夢だったので「はい、やりたいです」と即答しました。それからトントン拍子に話が進み、DDTにプロレスラーとして定期参戦するようになり、3年後には正式にDDTの所属になりました。一度投げ出した道とはいえ、夢がこうした形で実現し感慨ひとしおでした。