今でこそアメリカへ日本選手がわたって活躍するグローバルな時代となりましたが、そこに至るまでに両国では様々な国内リーグで... 日本プロ野球歴史上最強打線 ニューダイナマイトにスーパーカートリオ、古葉赤ヘル、西本いてまえ、近藤強竜も, 日本プロ野球の強打チーム21世紀編 史上最強打線にダイハード、オジンガン、マリンガン、ノーリミット等, 1994年近鉄バファローズ「いてまえ打線(鈴木監督期)」ブライアント&石井の3・4番コンビ, 1996年中日ドラゴンズ「強竜打線(星野仙一監督期)」大豊&山崎武司恐怖の下位打線, 1996年広島東洋カープ「赤ヘル打線(三村監督期)」前田、江藤、金本、緒方、ロペス…, メジャーリーグ日本人投手通算成績ランキング 勝利数・セーブ数・奪三振・ホールド(2020最新版), MLB日本人バッター通算成績ランキング 安打・ホームラン・打点・盗塁数(2020最新版). このニュースです。 そしてそんな格言... 大リーグの公式サイトが、メジャーリーガーにおける、打席から一塁までの走塁タイムの上位選手を発表しています。 山下雷舞後援会会長にしてビリー会元会長現相談役の伊勢氏から「わしゃあ、おまはんにハム最強チーム作って欲しいぜよ!」とのオーダーを受けたため、歴代最強ファイターズいってみます。, 最強ジャイアンツを作ってみたらあまりにも強いので、なんか巨人に勝てるチームを目指す感じになってきちゃった(笑), 『駒沢の暴れん坊』と言われた腕っぷし自慢揃いのフライヤーズ時代、なんとも地味な後楽園→東京ドーム時代、北海道に移転して実はこっそり黄金時代を迎えてた現在と、これまたなかなか楽しそう。, 大エースはちぎっては投げの『江戸っ子投法』土橋正幸…としたいところだが、ここはダルビッシュを選びます。土橋の30勝はもちろん素晴らしいけど、ダルビッシュは歴代の大投手達でもできなかった史上初の5年連続防御率1点台を達成。投高打低の黎明期ならまだしも2000年代でその記録。, プロ野球の歴史で『怪童』と呼ばれたのは2人。1人は西鉄ライオンズの中西太で、もう1人が尾崎行雄。高校2年の夏に甲子園を制し、秋に中退してプロ入り。翌年18歳で20勝して新人王。肩を痛めるまでの5年間で20勝以上を4回記録し、何が凄いってその投球のほとんどがストレートだってこと。, どちらにしようか迷ったけど抑えは武田。抑えでシーズン無敗は他に横浜の佐々木主浩だけ。プロの選手としては小柄な170cmの身長で、さらに深く低く沈み込むフォームから浮き上がるストレートを投げ、清原曰く「見たことの無い球筋」。マイケルも1敗で十分凄いんですけどね。変速サイドスローからのカーブの曲がり方がえげつなかった。, わたくし、どんな強豪チームが相手でも勝てる、まさに必勝リレーを見つけました!それは間柴→松浦→武田だ!, 1981年に15勝0敗で勝率10割達成の負けない投手間柴&チームが負けてる状態でリリーフ登板するとなぜか打線に火が付き逆転することから『逆転のマツ』と呼ばれた松浦。このなんか不思議な力を持つ投手2人から無敗ストッパーの武田に繋げば巨人にも勝てるぞ!, …でも武田は無敗の年の日本シリーズ第5戦、1点リードの9回裏にたった4球でサヨナラ負けしたんですけどね(T_T), 11勝4敗 179奪三振 防御率2.61)を入れたかったが、まだまだ進化中なのでちょっと保留。ちなみにこのブログを書いてる時点で5勝0敗 防御率0.80。3、4月の月間MVPを球団史上最年少で獲得しました。, 中継ぎに下柳はどうでしょう。阪神では先発だが日ハム時代はまさに鉄腕。投げて投げて投げまくり、投げなくていい場面でも投げさせられる男。試合前の打撃投手までやる男。, 東京ドームに観戦に行って下柳がコールされたらファンは「やっぱな」って笑ってた(笑). 日本に古来より伝わる格言ですよね。そんな格言が生まれる程に日本人男子にとって年上の姉さん女房というのは結婚するのに相性のいい事例が多かったという事なのかもしれません。 そんな野球の中でも高校野球は、プロ野球などとは違った特別な感情を抱かせる「何か」を持っているのではないでしょうか。その「何か」の中には、それ... 思わずホンマかいな?って呟いてしまいましたよ。 80年以上を誇る日本プロ野球史の中でも歴史に残る、その時代における強打、猛打の打線。その中でも愛称をつけて語り継がれているものをここではご紹介します。, この記事では時代が昭和から平成へと変わった、1989年の「ブルーサンダー打線」から。, 1988年はプロ野球、特にパ・リーグにとって激動の年でした。1リーグ時代から存在した阪急ブレーブスと南海ホークスという、ともに関西の私鉄会社を親会社に持つ名門チームが身売りした事でその歴史に幕を閉じたシーズンとなったのです。そして新たに誕生したのがオリックスとダイエーなのですが、そのオリックスの強力打線「ブルーサンダー打線」が生まれた年ともなったのでした。, 前年までの阪急時代も凄い打線だったのですが、同じく身売りした南海ホークスから移籍してきた不惑の大ベテラン、門田博光選手の加入によって一気に破壊力満点の超強力打線へと昇華しました。, 1984年には三冠王にも輝いた球団史上最強助っ人のブーマー・ウェルズを3番、不惑の大打者・門田を4番、そして生え抜きの大砲で内角打ちの名人と言われた石嶺和彦が5番、これまた生え抜きの左の大砲・藤井康雄が6番という破壊力。そして当時はトリプルスリーに最も近いといわれたオールラウンダーの松永浩美がトップバッターで控えるという超豪華な打線となっています。, ちなみにこの年のパ・リーグはこのブルーサンダー打線のオリックスと、秋山幸二・清原和博のAK砲を擁した西武ライオンズ、ラルフ・ブライアントを中心とした「いてまえ打線」の近鉄バファローズの歴史に残る三つ巴の優勝争いとなり、結果、近鉄が優勝。しかしオリックスと近鉄のゲーム差は無し(ゲーム差0)、まさに記録にも記憶にも残る大激戦でした。, 時代によってメンバーが違いながらも伝統的に近鉄に受け継がれていた「いてまえ打線」。現時点で最後の300勝投手となっている生え抜きエースの鈴木啓示監督時代の1994年も破壊力満点でしたね。, すっかりいてまえ打線の顔ともなったラルフ・ブライアント&石井浩郎の3・4番コンビも3年目を迎え、後にメジャーリーグで大活躍を果たす事となった逆輸入助っ人のスティーブンスが加わった90年代のいてまえ打線は成熟期といってもいい時代を迎えていましたね。, ただし、石井浩郎がキャリアハイの成績を残した一方、翌年は石井がケガで離脱してブライアントも極端な打撃不振と故障でその年限りの退団となるなど、1995年にはいてまえ打線は見る影もない程の貧打に泣かされる事となったのです。, この窮地を救って新たないてまえの後継者となるのが、この1994年の後半から金村に代わってレギュラーに定着し、サイクルヒットも記録した弱冠21歳の中村紀洋だったのですが、ニューいてまえの完成形はまだもう少し先のお話となります。, 2期・11年にわたって中日ドラゴンズの監督を務め、数々の名選手を育て上げた闘将・星野仙一。そんな星野監督在籍時の最強の「強竜打線」を挙げろといわれれば、わたしは1996年のこの打線を選びます。, 星野時代の強竜打線の中では、ゲーリー、落合、宇野がクリーンアップで並んだ1987年~88年辺りも捨てがたいのですが、打線の恐ろしさや破壊力でいえばやはりこの打線の方でしょう。, “ミスタードラゴンズ”立浪和義はまさに全盛期を迎え、4番を打つアロンゾ・パウエルも首位打者を獲得するなど、相変わらずの安定感を見せ、この年に獲得したダネル・コールズも大当たりの助っ人でした。2番の鳥越や5番の音も前後の強打者のつなぎとしてしっかり仕事を果たしていました。, かねてから4番候補と目されながら伸び悩んでいた山崎武司は一気にブレイクして松井秀喜との熾烈なホームラン王争いを制して本塁打王を獲得、大豊泰昭も山崎に1本差に迫る38ホーマーを放って、山崎武司とともに恐怖の下位打線を構成しました。, にしても…6番と7番が合わせて77本のホームランを打つ打線って…凄いですよね(笑)。ただし、盗塁二桁選手が一人もいないなど機動力は課題となった打線でもありました。, 古葉監督下で昭和50年代に黄金期を迎えた「赤ヘル軍団」広島東洋カープでしたが、1980年代後半からしばらくは投手力を中心としたチームへとシフトしていました。そんな赤ヘル打線でしたが、若き才能が花開いて山本浩二・衣笠祥雄在籍時以上の破壊力ある打線へと生まれ変わりました。そんな第二期「赤ヘル打線」の全盛期がこの1996年時なのではないでしょうか。, 前田智徳、江藤智、金本知憲、緒方孝市…広島東洋カープの育成力の素晴らしさはこのメンバーを見れば一目瞭然でしょう。他の球団に行けば文句なしの4番候補がこれだけ揃っているのです。, に加えて、チームリーダーの野村謙二郎、勝負強い助っ人のルイス・ロペス、大ベテランの正田耕三、捕手でありながら規定打席に到達して3割を打った西山秀二、と9番の投手以外は全く隙の無い超強力打線が出来上がっています。, 但しこれだけの超強力打線を擁しながらこの年の広島は優勝した巨人に6ゲーム差をつけられて3位に終わりました。絶対的エースのいなかった投手力がネックとなったのです。そしてこの年のドラフト2位指名を受けて一人の投手がカープに入団する事となりました。そう、その投手こそ後の名球界投手、広島のレジェンドとなる黒田博樹投手その人なのです。, 権藤博監督の下、38年振りにペナントレースを制した横浜ベイスターズ。優勝の原動力は“ハマの大魔神”佐々木主浩と「マシンガン打線」といわれています。では最強打線はその1998年?いえいえ、実はその翌年のベイスの打線こそ大洋時代からの横浜史上最強打線なのです。, とにかく真っ先に目が行くのが4番のロバート・ローズ。勝負強さに定評があるスラッガーですが、この年の153打点は異次元の数字という他ありません。この1999年の前後、1998年と2000年のセ・リーグ打点王は共に巨人の松井秀喜だったのですが、その打点数が100、108だったのですからこの153打点の凄さがお分かりいただけるはずです。当然ながら横浜史上最強助っ人外国人といわれたローズの8年間におけるNPB生活の中でもキャリアハイの年となりました。, “盗塁王”の石井琢朗と2番・波留敏夫の機動力に“安打製造機”の3番鈴木尚典の確実性、そして5番駒田徳広の勝負強さ…に加えて6番には左打者の佐伯貴弘と右の中根仁のツープラトン、7番の進藤と8番・谷繁も3割近い打率に本塁打も2桁という確実性と一発を秘めた、まさにマシンガンの如きたたみかけるような打線となっています。, なお、このスタメンには石井琢朗、駒田徳広、谷繁元信という3人の名球界メンバー(2000本安打以上)が揃っています。凄いわけですね。, 日本ハムファイターズの打線を現す言葉として1998年から定着したのが「ビッグバン打線」。この名前、ファンや評論家からの自然発生ではなく球団公募でつけられた、れっきとした公式の愛称だというところが面白いですよね。そんなビッグバンの中でも最強なのがこの2000年の打線でしょう。, 小笠原道大、シャーマン・オバンドー、ナイジェル・ウィルソンという30ホーマーカルテットに加え、チームの象徴ともいえる生え抜きで抜群の勝負強さを誇る片岡篤史とベテランの“コユキ”こと田中幸雄、攻守の井出竜也や金子誠など、日ハムの90年代~00年代を彩った名選手が揃って融合していたのがこの2000年のビッグバン打線なのです。, オバンドーとウィルソンと助っ人が充実していたのも大きいですが、やはりこの年の最大の収穫は“ガッツ”と呼ばれた小笠原道大の大ブレイクでしょう。.329、31本102打点の打者が2番に座っているのですからたまったものではありません。まさに最恐の2番打者です。この後球界を代表する打者となり、名球界入りを果たした道のりはファンならよくご存じの事でしょう。, 個人的には2006年の新庄剛志や稲葉篤紀、セギノール加入時のビッグバン打線とこの2000年版とで迷ったのですが、日ハム生え抜き選手の多さからこちらを選ばせてもらいました。. 中でも日本一を決定する春夏の甲子園はそれぞれの季節の風物詩といってもいいほど野球ファンの中に染み付い... 「姉さん女房は金のわらじを履いてでも探せ」 日本ハムの歴代最強エースはダルビッシュでしょうか? 僕は間違いなくそう言えると思います。ダルビッシュ選手は日本ハムでのNPB時代に167登板164先発55完投18完封防御率1.9993勝38敗奪三振1250投球回1268.1WHIP0.98という成績を残していますが、この数値をエース投手の1シーズン当たりの大体の … ダルビッシュ有の日ハム時代に関する記事です!ダルビッシュ有の素晴らしい成績や投球術など私の独自目線で紹介しています。ダルビッシュ有に関する情報が沢山ありますので、興味のある方は、ぜひぜひ、読んでみてください! 球団別歴代最強チーム 日ハム 投手編 」とのオーダーを受けたため、歴代最強ファイターズいってみます。 最強ジャイアンツを作ってみたらあまりにも強いので、なんか巨人に勝てるチームを目指す感じになってきちゃった(笑) Copyright (C) 2020 バットとグローブとブログ All Rights Reserved. この中で、今年43歳を迎えるマイアミ・マーリンズ所属のイチロー選手が、並みいるスピードスターの中に交じってメジャー全体... 140年以上の歴史を誇るメジャーリーグベースボール(MLB)と、遅れる事60年後に極東で産声を上げた日本プロ野球。 ダルビッシュ有は、期待の高校生ルーキーとして日ハムに入団しましたが、開幕前の春季キャンプ中に、当時未成年にも関わらず, チームメイトが午前中の練習を終え、食堂に行くと寝起き姿のダルビッシュが座っていた。. その中でもプロ野球と並んで日本人に愛されているのが高校野球でしょう。 (adsbygoogle=window.adsbygoogle||[]).push({}); 「ダルビッシュ有は今メジャーで頑張っているけど、日ハム時代のダルビッシュ有はまさに敵無し状態だったよな!!・・・まぁ、入団当初はちょっと心配だったけど。」, 確かに入団1年目のダルビッシュ有は「喫煙問題」があったりして「コイツ大丈夫かなぁ・・・」と心配の種でしたが、2年目以降はそんな問題を吹き飛ばすような活躍っぷりでしたよね!!, 私はダルビッシュ有については「日ハム史上最強投手」と声を大にして言いたいですね!!, 「うん、不良選手だったけど、ダルビッシュ有の投げるストレートとスライダーはどっちも一級品だったから、素行なんてものは、成績が良ければみんな黙認してくれるもんだよ!!」, そうなんですよねぇ、だからこそ同じ日ハムの「中田翔」には、もっと成績を上げてもらわないと・・・ってところなんですが、成績の上げ方もダルビッシュ有に似て欲しかったですね・・・(苦笑), と、中田のことは置いといて、ダルビッシュ有は現在でもメジャーで活躍しておりますが、それ以上に日ハム時代の活躍は凄まじかったんですよ!, 圧倒的エース、ダルビッシュ有の日ハム時代の成績をこれから見ていきますが、金田正一が現役で投げていた時代の成績に匹敵する内容なので、ビックリしないように気を付けてください(笑), では、現在はTwitterでも活躍しているダルビッシュ有の日ハム時代を、一緒に見ていきましょう!!, ダルビッシュ有は、期待の高校生ルーキーとして日ハムに入団しましたが、開幕前の春季キャンプ中に、当時未成年にも関わらず「パチンコ屋で喫煙していた!」ことが報道されてしまいました!!, これにより、ダルビッシュ有は私を含む野球ファンを「失望」させてしまいましたが、同年6月に何とか一軍に合流し「5勝5敗、防御率3.53」を記録し、ギリギリの成績で1年目を終わらせました。, プロ2年目のダルビッシュ有は「12勝5敗、防御率2.89」の成績で、先発ローテーションの役目と「前年度のお詫び」を果たすことが出来ました!, また、ダルビッシュ有は日ハムのリーグ優勝と「44年ぶりの日本一」に貢献し、日本シリーズでは「日本シリーズ優秀選手賞」を獲得する活躍ぶりでした!, 1年目は「プロとしての自覚無し」のダルビッシュ有でしたが、2年目からは心を入れ替えて「本来の投球」を取り戻したことが伝わってきましたね。, 「プロ野球選手らしい」ファンへの謝罪でしたよね、ダルビッシュ有の2年目の成績というのは。, ダルビッシュ有はプロ3年目(2007年)の夏ごろに「デキ婚」を発表し「ん、大丈夫か?」と私は思いましたが、成績は「15勝5敗、防御率1.82」の「沢村賞」と「最多奪三振」を獲得し公私共々、順風満帆でした!(ついでにリーグ優勝), プロ4年目以降もエースの名に恥じぬ活躍をし、特に防御率に関しては「1.88、1.73、1.78、1.44」と1点台を連発し、ダルビッシュ有の力は目に見えて分かるように成長していました!, また、プロ3年目から続いていた「5年連続防御率1点台」は「プロ野球史上初」の記録となり、ダルビッシュ有の成績は「最もメジャーに近い」成績となり、プロ7年目のオフにメジャー行きが決まるのでした。, いやぁ~改めて見るとスゲェ成績ですね、この成績を見るとダルビッシュ有は高校時代から才能があった素晴らしい選手だったんですね(驚), ただ「喫煙騒ぎ」があった時は「もうダメだ・・・」と諦めていたのは、私だけではないはず・・・(笑), 実は、ダルビッシュ有は「沢山の練習」を重ねており、プロ5年目(2009年)には「右手人さし指の疲労骨折」が判明し、オフの日も練習に当てていたそうです(過酷), 私は、こういったダルビッシュ有の行動の裏には「もうファンをガッカリさせる訳にはいかない!」という、自身の1年目を振り返ってのことだと思っています!, 心を入れ替えて「行動で示した」良い例を、ダルビッシュ有は野球ファンに伝えることが出来たんじゃないでしょうか!?, ダルビッシュ有の日ハム時代の成績でしたが、いつメジャーに行っても大丈夫!といった成績でしたね!, 基本、防御率が1点台のダルビッシュ有の球は、プロ野球選手でも打つのが難しいんですよね。, ダルビッシュ有について、ちょっと「勘違い」されているファンもいると思われますので、私から訂正しておきますね。, ダルビッシュ有は「ストレートとスライダー」だけで三振を取っていく「速球派」の投手では無く、複数の「変化球」を使って三振を取る「技巧派」の投手なのです!!, ダルビッシュ有の変化球と言えば、ツーシーム、スライダー、カットボール、カーブ、シンカー、チェンジアップなど、日ハム時代はこれだけの変化球を投げていました!, ダルビッシュ有は、特に「変化量がえげつないスライダー」と「ほぼ速球と同じ速度のツーシーム」で三振を取りまくっていました!, また、メジャー行きが近づくにつれ、ダルビッシュ有はカーブとチェンジアップも投げていたので、色々と試していたのかなーと思いました(試行錯誤), 上記の変化球に「150km/h」後半のストレートを織り交ぜられたら、ほとんどのプロ野球の打者では太刀打ち出来ないんじゃないかなーと私は予想しています(汗), 正直言って、ダルビッシュ有の日ハム時代は「メジャーの為の練習」だと私は捉えていますので、防御率が「5年連続防御率1点台」という成績は「当たり前」の結果だったと感じました。, 「コマンド(決まったコースに投げる技術)はもともとそれほど優れている方ではなかったし、あまり必要としていなかった。でもメジャーでは欲しい技なので・・・」, 「プロ野球は、甘いコースでも変化球を投げておけば、そう簡単に長打は打たれない(楽勝!!)」, と、ダルビッシュ有が言っていたように私は聞こえたので、やっぱり変化球には自信があったことと、プロ野球の試合では「歯ごたえが無い」と思っていたのでしょう・・・, と、ダルビッシュ有を褒めちぎる形となりましたが、次は初々しい高校時代に注目してみましょうか!, 高校時代も「喫煙」をして、高野連から怒られていたダルビッシュ有ですが、そんな彼はちゃんと野球と向き合っていたのでしょうか!?, 東北高校出身のダルビッシュ有ですが、実は野球部では「特別扱い」を受けていたのです!, やりたい放題のダルビッシュ有が3年生となり「キャプテン」に指名されたのですが、ダルビッシュ有に求心力は無く、副キャプテンがチームを引っ張っている状態となりました(悲), この状況にダルビッシュ有は「チームがまとまっていない」「自分の陰口を言われる」などを理由に「野球部を退部したい」といいますが、監督がこれに待ったを立て、チーム全員でのミーティングを始めたのです。, このミーティングで、チームメイトからダルビッシュ有へ対しての「不満」をブチ撒け、ダルビッシュ有は号泣してしまいましたが、結果、ダルビッシュ有とチームメイト内での溝が消え、団結力が強いチームに変化していきました!, 強くなった東北高校は、甲子園三回戦で負けてしまいますが、それでも敗北した瞬間にはベンチに「笑顔」があふれていたそうです(泣), 普通だったら、ダルビッシュ有はすぐに孤立して、すぐに野球部を退部するタイプなんですが、チームメイトを始めとする周囲の人が「辛抱強く」ダルビッシュ有を大目に見てくれていたんですね(優), そういった人たちに支えられてプロ入りしたダルビッシュ有ですが、1年目はアレでしたけど、2年目以降は「高校時代を思い出して」真摯に野球と向き合ったのでしょう!, ダルビッシュ有が東北高校を「わがままのまま」卒業して、プロ入りしていたら「パチンコ屋に入り浸りの日々」だったと私は断言しますね(依存症), 感謝すべきダルビッシュ有の高校時代でしたが、そんな彼も「沢村賞」を取れる投手に成長していました!, しかし、沢村賞の査定をクリアしていたのも関わらず、受賞を「2回」も逃してしまったダルビッシュ有は、果たして何がいけなかったんでしょうか!?, 登板試合数:25試合以上
勝利数:15勝以上 80年以上を誇る日本プロ野球史の中でも歴史に残る、その時代における強打、猛打の打線。その中でも愛称をつけて語り継がれているものをここではご紹介します。この記事では時代が昭和から平成へと変わった、1989年の「ブルーサンダー打線」から。 東急時代の1949年に、ユニフォームの胸マークの右上に入れていた。 帽子をかぶった少年の似顔絵(正式名称不明) 東映時代の1972年から日拓時代の1973年に、上記似顔絵が入ったペットマークを採用。球団発行印刷物に使用されていた。 リハビリ順調の超大物リンスカムが日本球界入り狙う理由 ティム・リンスカムです。サンフランシスコ・ジャイアンツのリンスカムです。サイ・ヤング賞(その年最も活... もはや日本の国技といってもいい国民的スポーツ、「野球」。 大洋時代を含め、チーム史上最強との呼び声も高いこの打線。 当時の監督である権藤博が 「犠打で簡単にアウトを献上するのは勿体ない」 として、犠打を殆どしませんでした。 主軸に長距離砲を並べて打線の中心に据える、というこれまでの強力打線の常識を覆し、ミート力に長けた選手や� 投球回数:200イニング以上 マウンドでの圧倒的な存在感、 完璧なまでの投球術で日ハム時代は驚異的な成績を誇った、 2000年代最強エース。 今回はダルビッシュ有投手の日本時代、日ハムでの成績や活躍ぶりをpickup 日本時代は完全無双すぎ。 マジですごかったな〜 ダルビッシュ有 .
日本人にとって野球というスポーツは「国技」といってもいいほどに身近で馴染み深いスポーツです。 週刊少年ジャンプで最終回巻頭カラーで連載終了した漫画作品一覧 アニメ化名作の中で有終の美を飾ったのは? 奪三振:150個以上