この時点でマケインの5選は確実となり[60]、11月2日に行われた本選では59.1%の得票率で当選した[61]。, 2012年大統領選の共和党予備選ではミット・ロムニーを支持した。なお、2008年大統領選の共和党予備選では撤退後のロムニーから支持を得ていた。, 2016年大統領選では、共和党予備選で首位を独走する実業家ドナルド・トランプの大統領としての資質に懸念を表明するミット・ロムニーの演説に同意した[63]。, 2016年8月、連邦上院議員選の共和党予備選で勝利し[64]、本選でも勝利し、6選を果たす[65]。, 2017年7月、脳腫瘍(膠芽腫)と診断され、アリゾナ州フェニックスの病院で手術を受けた。自宅静養していたがオバマケア見直し法案の審議に参加。7月28日に上院議会の採決で反対票を投じ、共和党の見直し法案は2票差で否決された[53][66][67]。9月にはCBSテレビのインタビューを受け、自身の病状を「非常に重篤」だと述べている[68]。, 2018年8月24日には、脳腫瘍の治療を停止すると家族が発表。また対立するドナルド・トランプ大統領を、自らの葬儀には参列させないと述べた[69]。翌8月25日に81歳で死去[70]。, 2018年8月30日に、地元のアリゾナ州で行われた追悼式典には、マケインが所属していた共和党だけではなく民主党も含めた、20人を超すアメリカ合衆国上院議員や、ジョー・バイデン前副大統領が集まった[71]。その後9月1日にワシントンD.C.のワシントン大聖堂で行われた告別式には、ジョージ・W・ブッシュ、バラク・オバマ両元大統領も出席して弔辞を読み上げるなど、やはり党派を超えた人物が多数参列した。一方、生前からマケイン本人が参列を拒否していたトランプ大統領は出席しなかった[72][73]。, また、大統領選挙の時にマケインの副大統領候補だったサラ・ペイリンも、恐らく遺族の意思によって葬儀に招かれなかったという(マケインは生前、ペイリンを副大統領候補にしたことを後悔しているという回顧録を残している)[74]。, マケインのリベラル寄りとも言われる一匹狼的行動は、内政問題によく現れている。同性婚・人工妊娠中絶・銃規制などにおいて、概ね保守の基本線を維持しているものの、強硬に主張することは少なく、特に同性婚に関しては、2005年アリゾナ州憲法の禁止案において賛成しながらも積極的な運動を行わず、翌年のアメリカ合衆国憲法の修正条項には、州による選択の自由を主張して反対票を投じた。, 妊娠中絶に関しても、近親相姦や強姦、母体に危険があるケースでは例外的に容認している。2005~6年にブッシュ政権による保守派の控訴・最高裁判事任命を巡って、アメリカ合衆国議会で両党が厳しく対立した折には、超党派で妥協案を探る議員グループ(14人のギャング)において主導的な役割を果たした。, 2002年には、民主党のファインゴールド上院議員とともに、共和党の支持基盤である大企業の献金を制約する新法を成立させ、2005年には移民問題でも、違法入国者の永住権を認める法案を、民主党リベラル派のエドワード・ケネディ上院議員と共同で提案し(ジム・デミント、ジェフ・セッションズ各上院議員ら共和・民主両党保守派の猛反発で廃案)[75]、2008年大統領選挙でも移民に寛容な立場を崩していない。, また、同選挙戦において、地球温暖化対策を重要政策として掲げている唯一の共和党候補でもある。経済問題では概して「小さな政府」路線の支持者だが、2001年、2002年にはブッシュ政権の減税に反対した(修正案の提出はしたものの、政府原案に反対票は投じていない)。こうした一連の政策や行動は、リベラル派からの好感を買う一方で、ネオコンからの厳しい反発を呼んでいる。, タカ派であり、介入主義的な傾向を持つ。ブッシュ大統領の「自由と民主主義の価値観を世界に広める」「全ての独裁の打倒」といった主張を支持し、いわゆるネオコンの外交思想と通ずる部分も多い。, 現実に、同勢力の論客であるウィリアム・クリストルやジョン・ボルトンは、マケイン支持を表明し、ロバート・ケーガンは大統領選の際に外交顧問を務めた。ただし、中東の民主化に関しては、ブッシュ政権が同盟国として重視したサウジアラビアなどの絶対王政も転覆させて、初めて成立するとも考えている。, イラク戦争については「フセイン独裁打倒」という点から支持、2002年にはジョー・リーバーマンらと共に、イラクへの武力行使を可能とする決議を提出した。具体的なイラク政策においては、ドナルド・ラムズフェルド前国防長官を「米国史上最悪の国防長官」として強く非難したことがあるが、これは「少数精鋭・ハイテク兵器至上主義戦争論」に対し向けられたもので、マケインは一貫してイラク平定には数十万人の兵力が不可欠と主張し続けており、2007年の増派も強く支持した(後述)。兵力増強については、アメリカ軍とりわけアメリカ陸軍が開戦前から主張しながら、ラムズフェルドにことごとく退けられてきた経緯があり、ブッシュ政権初期の際に陸軍参謀長を務めていたエリック・シンセキは兵力増強を巡るラムズフェルドとの対立から、その職を辞している。, このほか中東に関しては、イスラエルを強く支持し、イランの核問題を巡っては、CBSに出演した際、最終手段として限定的空爆も排除すべきでないとしている。また、親イスラエル派でもあり、中東におけるイスラエルの軍事的優位の維持やイスラエル軍によるパレスチナ内での軍事作戦を支持しており、「エルサレムはイスラエルの不可分の首都」と東西エルサレム分割案にも反対している。中東訪問の際もイスラエルに配慮して、パレスチナ自治区は訪れなかった。しかし、この訪問の際に「イラクのアルカーイダは、イランを拠点にイラクへ出撃している」「イランがアル=カーイダを支援している」「ターリバーンはシーア派過激派」などと、事実と異なる発言をしている。, 介入主義的傾向は東アジアに対しても向けられる。マケインはプーチン大統領のロシアに対する最も厳しい批判者として知られ、その言論弾圧・政敵の排除や覇権主義的な外交を非難、G8の一員としての資格にも疑問を向け、ロシアを外す代わりに、インドとブラジルをメンバーに加えるべきだとしている。ミャンマーの軍事政権への支援を巡っては、軍政に対する小規模でも経済支援を続ける、日本国政府の川口順子外務大臣(当時)を名指しで糾弾した。また対北朝鮮外交の強硬派であり、食糧支援や大韓民国の太陽政策を厳しく批判したこともある。, ウクライナではオレンジ革命を支援した(この動きを支援した同じ名前のNGOの代表であった。現在も中枢にいる)。また、コソヴォ独立運動の熱心な支援者でもあり、コソヴォ独立を承認しないロシアとセルビアを強く非難していた。また、1999年にCTBT批准の是非が米国上院で議論となると、ジェシー・ヘルムズと共に当時対応に慎重だったトレント・ロット院内総務を説得、否決への流れを作る。, 他方で自身の捕虜としての経験もあり、捕虜や囚人の人権問題に最も熱心に取り組む議員として知られている。対テロ戦争を巡ってアブグレイブ刑務所などで問題化した、捕虜・囚人の拷問・虐待問題を厳しく批判し、「敵に対する態度こそ、アメリカ自身の姿をはっきりと描き出す」(“What America does to its enemies defines America itself.”)との態度のもと、グアンタナモ米軍基地を含む収容所で、囚人への非人道的扱いを禁止する法案修正などを主導し、グアンタナモの閉鎖も主張した。2018年5月にトランプ大統領が中央情報局長官にジーナ・ハスペルを指名すると、マケインはハスペルを長年国のために尽くしてきた「愛国者」だと認めつつも、過去のテロ容疑者への拷問に関与疑惑を理由に反対した[53][76]。, マケインは同盟国を中心とした民主主義国家との連携を重視し、2008年大統領選に向けた外交構想において、それを「民主国家連盟」という概念の元に提示した(フォーリン・アフェアーズ2007年11-12月)。2008年大統領選の有力候補のうちでは、比較的日本に対する人脈や関心が強いと言われており、そのアジア政策の作成には海軍兵学校の後輩にあたるリチャード・アーミテージが関わっている。, 前述の構想における、日米同盟の強化、拉致問題を含む北朝鮮の人権問題への関心、日本の国連安保理常任理事国入りへの賛意、「価値観外交」「自由と繁栄の弧」への言及などにそれが現れている。こうした対日関係を重視する政策については、日本国政府関係者などに、現ブッシュ政権との継続性という観点から望ましいとする見解が多いが、集団的自衛権問題を始め、安全保障協力における対日要求も強まることも指摘された。, ベトナム戦争では、ベトナム民主共和国の捕虜として激しい拷問を受けた一方で、空母での事故により、自らの任務による被害を見つめ直した経験もあり、マケインは上院議員としてベトナム社会主義共和国とアメリカ合衆国の国交正常化に寄与した[53]。, アメリカ軍による枯葉剤の使用問題に関しては、「アメリカ合衆国連邦政府はベトナム人の枯葉剤被害者と汚染地域の浄化に、4,600万ドルを支出しています。多くのベトナム人にとって痛切な問題であり、私たちは被害者への賠償などを引き続き進めていかなければなりません」と述べている[77]。, 変わったところでは、大の国際式ボクシングフリークであり(自らも海軍兵学校時代ボクシングの選手であった)、いわゆるモハメド・アリ法を成立させたり、それまで米国各州独自に分立していたボクシングコミッションを、統括・調整活動等を行うUSBAと、その全米統一ルール(ユニファイド・ルール)を制定・調整する機関であるABC(the Association of Boxing Commissions:アソシエーション・オブ・ボクシング・コミッション)の設立に寄与したりするなど、ボクサーの安全管理、プロモーターやマネージャーからの搾取を防ぐ活動にも熱心に取り組んでいる。しかし、ボクシング以外の格闘技は無条件で見下す傾向があり、1990年代に生まれたUFCなどの大会で有名な、「殴る、投げる」などすべてを認める「総合格闘技」が人気を博し、ボクシング人気を脅かすようになると「人間を用いた闘鶏である」などと主張し、安全性に欠けていると非難した(安全性という観点ではボクシングの方が頭部にダメージが集中するためこの主張の正当性は疑問視されている)。同時に、上院議員としての立場を利用し、米国各州の知事に対し総合格闘技を締め出すよう要請する書簡を出す、ペイ・パー・ビュー業界に総合格闘技を販売対象としないよう圧力をかけるなどの妨害工作を行い、ボクシングの人気が凋落しないよう暗躍した。, ただし、その後アメリカの総合格闘技界が、結果的にマケインらの批判に応える形で安全面に配慮しルールなどを整備。マケインも2005年に、日本の格闘技団体「PRIDE」が米国カリフォルニア州の興行ライセンスを取得しようとした際、米国総合格闘技のルールを支持し、PRIDEの現行ルールは危険すぎる(UFCで禁じられている踏みつけやサッカーボールキック、膝蹴りなどが容認されていた)と批判する立場から、同州のアスレチック・コミッションで証言するなどした[78]が、これは総合格闘技を認めたというよりも、日本の格闘技団体のアメリカ進出を妨害する意図が強い。, ターゲットのリストはとても制限的なもので、我々は同じターゲットを何度も何度も爆撃しなければならなかった。多くのパイロットたちが自分たちの任務は実質的には価値の無いものと見ていた。はっきり言うと、我々は自分たちの軍人ではない司令官は全くの無能で、この戦争に勝つ気などほとんどないと思っていた, 自分はいつも海軍に所属していたいと思ってきた。自分はここで生まれ、他の職業を選ぶことなど考えたことはない。ただ、組織の中でやっていくことが自分にとっていつも問題になっている, 私は学んだ。すべての人に限界点があるということだ。あのとき私は自分の限界点に達した.