第59回(2009年) ウオッカ JBISサーチ. 第08回(1991年) ダイタクヘリオス 第39回(1989年) バンブーメモリー 第50回(2016年) レッドファルクス 第20回(1970年) メジロアサマ 第42回(1992年) ヤマニンゼファー まさか調教師としてのデビュー戦でもやるとは…。先生になっても、この男には驚かされる。, 競馬を酸素に、日々ボンヤリ生きています。 第11回(1994年) ノースフライト 第33回(1983年) キヨヒダカ 今一度この言葉の意味を調べてみると、「生まれつき備わっている並み外れた優れた才能。」と出た。 第17回(2000年) アグネスデジタル 第32回(1982年) スイートネイティブ 第44回(2010年) ウルトラファンタジー オースミタイクーンの競走馬データです。競走成績、血統情報、産駒情報などをはじめ、50万頭以上の競走馬・騎手・調教師・馬主・生産者・レースの全データがご覧いただけます。 第43回(1993年) ヤマニンゼファー 第33回(2016年) ミッキーアイル 第41回(2007年) アストンマーチャン 東西の重賞勝利ジョッキーの欄に武の苗字。1997年3月2日の中央競馬は武兄弟によって支配されたのだった。, あの日と同じ驚きが阪神競馬場に巻き起こったのは、今年の3月3日。朝の1Rでグアンという馬が初勝利を挙げた。背に武豊を乗せたグアンと記念撮影に収まるホースマン達の中に、スーツを着た長身の男がいた。 オースミタイクーンとは日本の元競走馬、種牡馬である。おもな勝ち鞍は1997年マイラーズカップ・セントウルステークス。年齢は旧表記とする。, 半兄に1991年ダービーステークス、アイルランドダービー、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス優勝のジェネラス(父カーリアン)、半妹に2001年アイリッシュ1000ギニー・イギリスオークス優勝のイマジン(父サドラーズウェルズ)がいる。, その血統面からデビュー前より評判となり[2]、圧倒的人気の中1994年1月の新馬戦を6馬身差の大勝。前評判通りの走りを見せる。しかし次走後に骨折を発症、1年以上に及ぶ戦線離脱となり4歳シーズンを棒に振る。, 1995年4月の復帰後は順調に条件戦を勝ち進み12月にオープン昇格を果たす。翌1996年東京新聞杯では落馬の影響を受け10着大敗、さらにマイラーズカップでは道中不利から6着敗退など不運もあったが、昇格後も勝ち鞍を重ねた。, しかし栗東ステークス1着以降、GI級馬の揃ったレースではいずれも相手にならず3連続2桁着順と苦戦、7月の宝塚記念10着後放牧休養へと出された。, 1997年マイラーズカップにて戦線復帰も、休み明け・重賞未勝利等不安要素から11番人気と人気を下げていた。だが、周りをあざ笑うかのように直線鋭く抜け出し優勝、鞍上の武幸四郎は前日にデビューしたばかりで、初勝利が初重賞制覇として当時のメディアで話題になる[3]。同馬の手綱は以後全て武幸四郎により取られ、この年の秋にセントウルステークスも制し2つ目の重賞タイトルを獲得、有馬記念では5着に入り健闘した1年となる。, 現役最終年となる1998年は勝ち鞍こそ上げられなかったが、京王杯スプリングカップでGI馬タイキシャトルに僅差の2着まで迫るレースぶりを見せるなどマイル路線の一員として長く活躍する。最後は有馬記念にてレース中に右前屈腱炎を発症し高齢のためそのまま現役引退[4]、静内スタリオンステーションで種牡馬入りとなった。, 良血馬であったが、父ラストタイクーンの日本での産駒成績が期待外れだったこと、重賞2勝がともに人気薄だったことなどから種牡馬としての人気は低く、2年目以降は毎年一桁の種付け数にとどまった。静内スタリオンから白井牧場を経て、種牡馬生活末期には青森県のワールドファームに繋養された[5]。2007年に種付け頭数がゼロになり、同年10月1日付で用途変更となった。活躍馬は出せなかったが、2005年生まれの牝馬トレジャースマイルは、額にハート型の流星があったことから、「ハート馬」として岩手競馬のアイドル的人気を得た[6][7]。. 第55回(2005年) アサクサデンエン 第07回(1973年) キョウエイグリーン 第48回(2014年) スノードラゴン 第61回(2011年) リアルインパクト ダービースタリオンマスターズの配合・子馬の能力値などを掲載・配合支援ツールも公開しております。現在オススメ配合表にニックスも表示しております。 第11回(1977年) メイワキミコ 第05回(1971年) ケンサチオー 第03回(1969年) タケシバオー 第13回(1963年) ヤマノオー 第05回(1988年) サッカーボーイ JavaScriptが無効です。ブラウザの設定でJavaScriptを有効にしてください。JavaScriptを有効にするには, 競馬・425閲覧・xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">25, 武幸四郎と言えばティコティコタックはあまり強いイメージは netkeiba. 武幸四郎Jと言えば思い出す馬一頭を挙げて下さい。 やっぱりオースミタイクーンです。コイツはやるな~と思いました。今は違う意味でいろいろやってくれますが… 第54回(2004年) ツルマルボーイ 第66回(2016年) ロゴタイプ 妻の嘘に気づいてしまった。追及すべきかどうか悩んでます。結婚2年目の夫婦子無しです。お互いフルタイムで仕事をしています。 第30回(1996年) フラワーパーク 第50回(2000年) フェアリーキングプローン 第03回(1986年) タカラスチール 第16回(1982年) ブロケード オンギャー、或いはヒヒンと生まれた段階から才を有した者達を、怠けることにかけては天才な私は色々見てきた。 国際競走指定後: 第35回(1985年) ニホンピロウイナー 第70回(2020年) グランアレグリア, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=タイキシャトル&oldid=80125015. 菊花賞2020過去10年のデータ分析。レース傾向から有力馬の最新情報・穴馬も予想!他にはない様々な過去10年のデータ量から勝ち馬穴馬台頭馬を徹底分析。競馬にデータは必須です。馬券予想買い目の参 … どの業種に限らずファンというのは力を与えてくれる有り難い存在だ。しかし、時と場合によっては愛するが故に、ついつい厳しい言葉を発してしまう。例えば5(木)に行われたプロ野球の楽天vsロッテ戦。手に汗を握るシーソーゲームで9回表まで8−7。ここで楽天は守護神、松井裕がマウンドに。いつも通り若きクローザーが締めてくれる。大多数の楽天ファンはそう信じていたに違いない。ところがどっこい、松井裕は四球と連打を浴びて6失点の大炎上。後続も打ち込まれ最終回だけで一挙8得点。終わってみれば8−15でロッテが勝利した。プロは結果が全て。試合後に松井裕は「自分の実力不足です」と言い訳しなかったけど、試合後のヤ●コメが酷い有様に。。。。。。そりゃ打撃陣があれだけお膳立てして最後の最後にブチ壊したら、ファンが怒るのも無理はない。俺は出身地の千葉ロッテがご贔屓球団だけど、逆の立場なら大なり小なり、苦言のひとつも発したくなったに違いない。(3日にロッテ守護神の西野が打ち込まれ逆転負けした時がまさにそれ)余談としてフジテレビのCSで放送されているプロ野球ニュースで、昨年まで楽天の監督を務めていたデーブ大久保が解説していたけど、言葉は“愛のムチ”に溢れていた。その内容を簡単にまとめると・外国人投手のクイックができていない・守備のミスが多すぎる・逆転してもベンチで大はしゃぎするんじゃないよ!とこんな感じだが、最後に「勝負は下駄を履くまで分らない」と。これに尽きると思う。CSのプロ野球ニュースは1試合あたりタップリ時間があるので、展開を左右したシーンを解説付きで放送してくれるのは素晴らしい。結果だけ見ると松井裕だけが戦犯扱いされてしまうけど、その前に同点の内野安打になった清田のショートライナーを茂木が捕っていれば、ゲッツーで試合終了ですよ。茂木は7回表にも平凡なフライをレフトとお見合いでタイムリーにしているし、俺が楽天のファンだったら“打つだけじゃなく守備も少しは……”と言いたくなる。, (フォローじゃないがデーブの解説はカネを払って見る価値あり。楽天フロント批判とか超面白かった), (YouTubeやニコ動にあったオースミタイクーンのマイラーズC動画が根絶やしに。八●長の証拠隠滅か!? 第14回(1964年) シモフサホマレ 第58回(2008年) ウオッカ 第29回(2012年) サダムパテック 第18回(1968年) シエスキイ ), (大人の事情によりクールエイジアの記事は削除した。JRAがお役所仕事でマジ助かった……). 第26回(1992年) ニシノフラワー 第42回(2008年) スリープレスナイト 第64回(2014年) ジャスタウェイ 第15回(1998年) タイキシャトル 第31回(1997年) タイキシャトル 第46回(1996年) トロットサンダー 第02回(1985年) ニホンピロウイナー 第28回(1978年) ニッポーキング 国際競走指定後: 第12回(1978年) メイワキミコ 第08回(1974年) サクライワイ 第54回(2020年) グランアレグリア, 国際競走指定前: 国際G1昇格後: 第26回(2009年) カンパニー 第17回(1967年) ブツシヤン 第18回(1984年) ハッピープログレス, 第19回(1985年) マルタカストーム 第35回(2018年) ステルヴィオ 第47回(2013年) ロードカナロア 第34回(2017年) ペルシアンナイト オースミタイクーンにとってこれが嬉しい初重賞タイトル。兄もイギリスで喜んでいただろう。 第39回(2005年) サイレントウィットネス 第53回(2019年) タワーオブロンドン 第15回(1981年) サクラシンゲキ 朝から5鞍騎乗し未勝利のまま迎えた、初めての重賞騎乗。相棒はオースミタイクーンという7歳の牡馬だった。 第16回(1999年) エアジハード 第06回(1972年) ノボルトウコウ 第47回(1997年) タイキブリザード, 第48回(1998年) タイキシャトル 第49回(1999年) エアジハード 第19回(2002年) トウカイポイント 第36回(2019年) インディチャンプ, 国際競走指定前: 第60回(2010年) ショウワモダン 第13回(1996年) ジェニュイン, 第14回(1997年) タイキシャトル 第65回(2015年) モーリス 第23回(1973年) ハクホオショウ 第24回(1990年) バンブーメモリー オースミタイクーンとは日本の元競走馬、種牡馬である。おもな勝ち鞍は1997年マイラーズカップ・セントウルステークス。年齢は旧表記とする。, 半兄に1991年ダービーステークス、アイルランドダービー、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス優勝のジェネラス(父カーリアン)、半妹に2001年アイリッシュ1000ギニー・イギリスオークス優勝のイマジン(父サドラーズウェルズ)がいる。, その血統面からデビュー前より評判となり[2]、圧倒的人気の中1994年1月の新馬戦を6馬身差の大勝。前評判通りの走りを見せる。しかし次走後に骨折を発症、1年以上に及ぶ戦線離脱となり4歳シーズンを棒に振る。, 1995年4月の復帰後は順調に条件戦を勝ち進み12月にオープン昇格を果たす。翌1996年東京新聞杯では落馬の影響を受け10着大敗、さらにマイラーズカップでは道中不利から6着敗退など不運もあったが、昇格後も勝ち鞍を重ねた。, しかし栗東ステークス1着以降、GI級馬の揃ったレースではいずれも相手にならず3連続2桁着順と苦戦、7月の宝塚記念10着後放牧休養へと出された。, 1997年マイラーズカップにて戦線復帰も、休み明け・重賞未勝利等不安要素から11番人気と人気を下げていた。だが、周りをあざ笑うかのように直線鋭く抜け出し優勝、鞍上の武幸四郎は前日にデビューしたばかりで、初勝利が初重賞制覇として当時のメディアで話題になる[3]。同馬の手綱は以後全て武幸四郎により取られ、この年の秋にセントウルステークスも制し2つ目の重賞タイトルを獲得、有馬記念では5着に入り健闘した1年となる。, 現役最終年となる1998年は勝ち鞍こそ上げられなかったが、京王杯スプリングカップでGI馬タイキシャトルに僅差の2着まで迫るレースぶりを見せるなどマイル路線の一員として長く活躍する。最後は有馬記念にてレース中に右前屈腱炎を発症し高齢のためそのまま現役引退[4]、静内スタリオンステーションで種牡馬入りとなった。, 良血馬であったが、父ラストタイクーンの日本での産駒成績が期待外れだったこと、重賞2勝がともに人気薄だったことなどから種牡馬としての人気は低く、2年目以降は毎年一桁の種付け数にとどまった。静内スタリオンから白井牧場を経て、種牡馬生活末期には青森県のワールドファームに繋養された[5]。2007年に種付け頭数がゼロになり、同年10月1日付で用途変更となった。活躍馬は出せなかったが、2005年生まれの牝馬トレジャースマイルは、額にハート型の流星があったことから、「ハート馬」として岩手競馬のアイドル的人気を得た[6][7]。, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=オースミタイクーン&oldid=74457831. 第27回(2010年) エーシンフォワード 第40回(2006年) テイクオーバーターゲット 第09回(1959年) ヒシマサル 第14回(1980年) サクラゴッド そして幸四郎である。初勝利と初重賞制覇を同時に成し遂げた。改めて記すがデビュー2日目である。父も兄も成し得なかった記録を、丸坊主の彼はやってのけたのだ。 第25回(1991年) ダイイチルビー 妻はたまに職場の同僚と仕事終わりに食事や飲み会などに行ってます。私は行くことや帰りが多少遅くなることは気にしておりません。 第24回(1974年) キョウエイグリーン, 第25回(1975年) サクライワイ 第04回(1987年) ニッポーテイオー 第27回(1993年) サクラバクシンオー 第10回(1960年) オンワードベル 第36回(1986年) ギャロップダイナ 国際G1昇格後: 第53回(2003年) アグネスデジタル でも一皮剥けたと言う意味ではオースミタイクーンだった様な気がします。, 40代で300万円の貯金ってすごいんですか?先日、同棲してる彼氏が『親が300万円の貯金があるからスポーツカー(WRX)買うらしい』と言ってきました。それも自慢げに。 第45回(2011年) カレンチャン 兄に1991年の英ダービーなどを勝ったジェネラス、7歳下の妹イマジンは2001年愛1000ギニー、英オークス勝った。 第28回(1994年) サクラバクシンオー 第37回(2003年) デュランダル オースミタイクーンとは日本の元競走馬、種牡馬である。おもな勝ち鞍は1997年マイラーズカップ・セントウルステークス。年齢は旧表記とする。 第33回(1999年) ブラックホーク 第06回(1989年) オグリキャップ 第62回(2012年) ストロングリターン 第57回(2007年) ダイワメジャー 第68回(2018年) モズアスコット 第51回(2017年) レッドファルクス 第38回(2004年) カルストンライトオ 1995年初頭にアイルランドへ移送され、調教を施される。その後、日本において藤沢和雄の管理のもとでデビューすることが決定。1996年7月に北海道・大樹ファームへ移送された。, タイキシャトルは当初、同年秋に美浦トレーニングセンターにある藤沢厩舎に入厩する予定であったが、脚部の負傷や蹄の化膿によって予定が遅れ、翌1997年2月5日に藤沢厩舎に入厩した。入厩後も脚下のモヤモヤに悩まされ、さらに調教で走らせる度にソエが悪化したため、デビューが遅れることになった[1]。, ゲート試験に二度落第したためにデビューが遅れ、4月19日のダート1600mの未勝利戦でデビューすることになった。これはソエで脚下が固まっていなかったタイキシャトルに無理をさせないためにダートが選ばれたものであり、このレースを2着に4馬身差をつけて圧勝すると、続く500万下も快勝した。未勝利、500万下とレースに出走する中で徐々に脚下が固まってきたため、陣営は初の芝レースへの出走を決める。, 6月8日の菖蒲ステークスでは、のちに重賞を勝つシンコウスプレンダ、オースミジェットを相手に完勝し、3連勝を飾る。続く菩提樹ステークスはテンザンストームにクビ差の2着と不覚を取るが、調教師の藤沢和雄は「あのレースはノーマークの馬に単騎で行かれ、捉えきれなかっただけ。『強い馬』が負けるときの典型的なパターンと言えるでしょう」と語り、意に介さなかった[1]。また、レースでは他馬より重い56kgの斤量を課せられており、初の関西も影響したと考えられる[2]。, 3ヶ月の休養を経て秋を迎え、GIIIのユニコーンステークスに駒を進めた。秋の初戦にダートを選んだことについて藤沢は「芝・ダートを問わず、とにかくマイルのレースに使いたかったんですよ。さらに言うと、4歳(現在の3歳)限定戦が望ましい。その2つの条件を満たすのがたまたまユニコーン(ステークス)だったというだけなんです」と語った[3]。3番人気でレースを迎えたタイキシャトルは楽々先行すると、ラスト3ハロンを出走馬中最速となる37秒9でまとめ、2着となったワシントンカラーに2馬身半の差をつけて快勝、重賞初制覇を飾った。, ユニコーンステークスを快勝したタイキシャトルは、初の古馬とのレースとなるGIIの芝重賞、スワンステークスに臨んだ。このレースでは主戦の岡部幸雄が同厩のシンコウキングに騎乗したため、横山典弘が手綱をとった。これはシンコウキングに気難しい面があり、岡部でなければ上手くコントロール出来ないという厩舎の事情からであった[4]。レースでは3番手につけると直線で抜けだし、追い込んできた1番人気のスギノハヤカゼに3/4馬身の差をつけて優勝した。, ダート、芝の重賞を連勝したタイキシャトルは、最大の目標としていたGIのマイルチャンピオンシップに出走することになった。この年は1番人気が4歳馬ながら安田記念で古馬に混じって3着に好走したスピードワールド、他にも桜花賞馬キョウエイマーチ、一昨年の皐月賞馬ジェニュインをはじめ、ヒシアケボノ、シンコウキング、マイネルマックス、タイキフォーチュンと6頭のGIホースが出走しており、さらには本格化前ではあったものの翌年の宝塚記念を勝つサイレンススズカが出走するなど、ハイレベルな競走となった。強豪馬が揃う中で2番人気に推されたタイキシャトルは、岡部が前走に引き続きシンコウキングに騎乗することになったため、再び横山を背にレースに臨んだ。レース本番では、キョウエイマーチが1000メートルの通過タイムが56秒5という超ハイペースで引っ張り、サイレンススズカ、ヒシアケボノが続く中、好スタートをきったタイキシャトルは前から4番手、5番手を追走した。直線に入り、ハイペースに巻き込まれたサイレンススズカ、ヒシアケボノが相次いで失速する中、タイキシャトルは鞍上の横山のゴーサインに瞬時に反応すると、粘るキョウエイマーチをあっさりと差しきって、2馬身差をつけて快勝した。このレース後、横山はタイキシャトルのあまりの強さに驚嘆し、「岡部さん、反則ですよ。こんな強い馬に乗ってたなんて」と憎まれ口をたたくと、岡部が「何言ってんだよ。もし最初からお前が乗ってたら、こんなに強くなってないよ」とやり返す一幕があった[5]。また藤沢もタイキシャトルのGI初制覇となったこの時点で「海外」を意識するほど鮮やかな勝利だった。なお、マイルチャンピオンシップを4歳馬が勝利をしたのは、1988年のサッカーボーイ以来、9年ぶりのことであった[5]。, その後、手綱が横山から岡部に戻ったスプリンターズステークスも単勝1.9倍の圧倒的な1番人気に推され、いつも通り好位につけ、直線で突き抜けると、2着のスギノハヤカゼに1 3/4馬身差をつけて優勝した。なお、同一年にマイルチャンピオンシップとスプリンターズステークスの2つの秋短距離GIを勝ったのはタイキシャトルが初である。またこの年は、他にGI競走で際立った実績を挙げた馬が少なかったため、短距離馬として初の年度代表馬選出の可能性もささやかれたが、年度代表馬はエアグルーヴに渡り、この年は最終的にJRA賞最優秀短距離馬に選出されるにとどまった。なお、クラシック競走は外国産馬のため出走できなかった。, 陣営は海外遠征も見据えて安田記念出走を予定していたが、放牧先の寒さが原因となって蹄に亀裂が入り、出走が危ぶまれる事態となった。藤沢は装蹄師の志賀勝雄に対処を依頼、志賀は通常より少ない4本の釘で蹄鉄を打つ特殊な技法(フォーポイント)を用い、蹄の回復を促すことに成功。安田記念の前哨戦である京王杯スプリングカップに出走することができた。, 同レースでは、タイキシャトルは休み明けながら単勝1.5倍の1番人気に推され、スタート後、好位につけると直線で抜け出し、強く追われることもないまま2着のオースミタイクーンに1 1/2馬身差をつけ、1分20秒1のレコードで勝利した。藤沢はレース後、「終始馬なりであの強さ。海外のGIを狙えるような馬は、休み明けだろうとなんだろうと、国内のGII程度ならあれくらいの競馬ができてしまうものなんだと実感しました」とタイキシャトルのポテンシャルの高さを絶賛した[6]。, 連闘で翌週の高松宮記念に出走する計画もあったが登録だけに留め、安田記念へ向かう。大雨のため稀に見る超不良馬場となった安田記念は実質的なタイキシャトルの壮行レースとなり、単勝1.3倍の圧倒的な1番人気に支持されたものの、初となる不良馬場を不安視する声もあった。しかしレースでは道悪を全く問題にせずにあっさり好位につけると、逃げるエイシンバーリンを見ながら4番手付近を追走。第4コーナーから最後の直線にかけて、雨で荒れた馬場を嫌って各馬が内外に広がる中、馬場の真ん中へと持ち出されたタイキシャトルは豪快に伸び、先に抜け出した香港のオリエンタルエクスプレスに外から並びかけると、一瞬で突き放し2馬身半の差をつけて勝利。不良馬場への適性を自らの走りで証明するとともに、この勝利で陣営がかねてから宣言していたフランス遠征が決定的になった。, 遠征レースとして選ばれたのはフランスのマイルG1の最高峰であるジャック・ル・マロワ賞(ドーヴィル競馬場、芝直線1600m)であった。7月21日に渡仏したタイキシャトルだったが、レース本番を約1ヶ月後に控えた渡仏だった点について「もっと早く向こう(フランス)に行って、環境に慣らした方がいいのでは?」との周囲の声もあったが、「日本で競馬を使うときと同じように調整をしたい」との藤沢の考えのもと、調教もいつも通り馬なり中心で行われ、その効果もあってかフランスに渡った後もタイキシャトルはイラつくこともなく、終始リラックスをしていた[7]。, また、フランスではトニー・クラウト厩舎に入厩したが、その際、クラウト厩舎ではタイキシャトルが万全の状態で調整ができるよう、日陰かつ目の前の馬の往来も比較的少ない馬房を使用させてくれ、偉業達成のための協力を惜しまなかった。厩舎でのタイキシャトルを見たクラウトは「いつ見てものんびりしている感じで、寝ている事もたびたび。レースへ向けて気持ちが乗って来ない感じで、体も太い感じ。『もう少し強い調教をした方が良いのではないか?』と思いました」と当時を振り返っている。しかし、藤沢は「海外へ行くとむしろ張り切ってやり過ぎる傾向がある。でも、オーバーワークになったら良い状態に戻すのは難しい。トニー(クラウト)が正しいとか正しくないという意味ではなくて、海外だからと言って普段と違う事をやる必要はないんだ。今まで日本でやってきた通り、自信を持って同じ事をやり通せば良いんだ」と自信をもってタイキシャトルをレースに送り出した。[8]ジャック・ル・マロワ賞の1週間前に行われたモーリス・ド・ゲスト賞でシーキングザパールが日本調教馬として初の海外GI制覇を成し遂げたことや、その際、シーキングザパールの調教師だった森秀行が「来週、出走するタイキシャトルはもっと強いですよ」と発言した[8]こともあり、タイキシャトルはこのレースでも単勝1.3倍という圧倒的な1番人気に支持されており、一時的に単勝オッズが1.1倍になるほど一本かぶりの人気となった[9]。これは強敵と見られていたインティカブが故障のため出走回避したことで、日本で圧倒的な戦績を誇っていたタイキシャトルに人気が集中した面もある。このオッズを見た藤沢は「まるで日本のレースに出たときのオッズだな…」と苦笑するしかなかったという[10]。当日は重馬場でのレースとなり、タイキシャトルは逃げるケープクロスの後を2番手で追走したが、レース前半は集中力を欠き、物見をしながら走っていた。直線1600mという仕掛けどころの難しいコースで岡部が残り100mで仕掛けると、すぐさまケープクロスを競り落し、最後は追い込んだ2番人気のアマングメンを半馬身抑えて海外G1のタイトルを手に入れた。シーキングザパール、タイキシャトルと日本調教馬が2週続けてフランスのG1を勝ったことはヨーロッパの競馬関係者に大きな衝撃を与えた。また、調教師の藤沢、騎手の岡部にとっては本場のG1を勝つという悲願を達成した瞬間であり、岡部が表彰式で涙を見せるシーンもあった。ただ、この日のタイキシャトルはこれまでにないほど入れ込み、装蹄中の志賀を蹴った上、レースまでの数時間で入れ込みが治まらなければ出走取り消しの判断が下される可能性すらあったという[11]。普段は非常に落ち着いた馬であり、海外輸送の際もカイバは残さず、馬運車や飛行機の中ですやすやと眠っていたほどの強心臓を持っている馬である。そのため、この時の入れ込みは関係者を大いに心配させた。, その後はムーラン・ド・ロンシャン賞やブリーダーズカップ・マイルに挑戦することも検討されたが、検疫の問題等もあり、最終的には日本へ帰国しマイルチャンピオンシップに進むことが決定。日本へ凱旋したタイキシャトルは、予定通りマイルチャンピオンシップに出走すると、好位を追走し、直線に入ってすぐに先頭に立つと後続をちぎるだけという圧倒的な競馬で5馬身差の完勝、マイルチャンピオンシップ連覇を達成した。, 本来はマイルチャンピオンシップを最後に引退する予定であったが、JRAからの要望により、予定を変更してスプリンターズステークスを引退レースとすることとなった。しかし単勝1.1倍の圧倒的人気を集めたものの、前半3ハロンが32秒9というハイペースを好位追走し消耗したことや、マイルチャンピオンシップから続く太め残り(タイキシャトルの出走歴で最も重い530キロでの出走)の影響もありマイネルラヴ、シーキングザパールの2頭にタイム差無しのアタマ、クビ差の3着と敗れた。全成績を通してみると、この馬が連対を外したのはこの1戦のみである。, 引退レースとなったスプリンターズステークスの敗戦について藤沢は「明らかに走るのを嫌がるそぶりを見せるようになっていたんですよね。それが顕著になったのは、マイルチャンピオンシップの直後でした。レース後、耳を絞って反抗していましたから…マイルチャンピオンシップもスプリンターズステークスも明らかに太かったんですが、調整段階から馬の気持ちが走る方向を向いていなかったように、自分で体を作るのを拒否したからでしょう。もし、シャトルが人間の言葉を話せたなら、“もう引退させてくれ”と言っていたかもしれません」と振り返り、馬が競馬をしたくなくなっていたことにあると振り返った[12]。, この日の最終レース後に行われた引退式では、タイキシャトルのデビュー以来の全成績がターフビジョンに映し出されたが、ラストランとなったスプリンターズステークスの着順の欄には「1着」(実際は3着)と記載されていた[13]。このように主催のJRAですらタイキシャトルのラストランでの勝利を疑っていなかった。, そして日仏で3つのGIを勝ったことが評価され、この年の最優秀短距離馬、最優秀5歳以上牡馬および年度代表馬となる。なお、短距離専門の馬が年度代表馬となったのはこの馬が初めてである。また、フランスの年度代表馬顕彰(エルメス賞)において最優秀古馬に選出された。また、翌年の1999年には現役時代の活躍が評価をされて、短距離馬として初のJRA顕彰馬(殿堂入り)として選定され、日本競馬史における歴史的名馬の地位を確固たるものにした。, 1997年ユニコーンステークスから1998年マイルチャンピオンシップまで記録した重賞8連勝の記録はテイエムオペラオーと並ぶJRA所属馬の記録である。さらにマイル戦ではダートを含め7戦7勝という絶対的な強さを誇り、またその勝ちっぷりも圧倒的であった。日本競馬史上最強のマイラーはどの馬かという問いに対して、最も多く名前の挙がる一頭である。, 2019年春にnetkeiba.comによって行われた「競馬ファンが選ぶ『平成最強マイラー』ランキング」では、総数27000票に及ぶ投票の中、7819票を獲得し、第1位に選出された。2位モーリス(5710票)、3位ウオッカ(2930票)に大差をつけた結果から、現役を引退して20年以上が経過しても「平成」という時代の中でタイキシャトルが超一流のマイラーとして競馬ファンの記憶に大きなインパクトを残しており、最強マイラーとして広く認められていることが示された結果となった。[14], 過去の名マイラー達が中距離でも好成績を収めていたことから(ニッポーテイオー、オグリキャップ、ヤマニンゼファーなど)、タイキシャトルにも中距離のレースへの出走を望む声があった(実際1998年の有馬記念のファン投票では8位に推されており、大川慶次郎も是非出て欲しいと発言した)。調教師の藤沢和雄は、「有馬記念が東京の2400メートルなら使いますよ。シャトルは頭がいいから、中山の2500メートルだと一周目でゴールと勘違いしてしまう」と冗談とも本気ともつかぬ発言をしたこともあった。これは有馬記念のスタート地点が1200メートルのレースのスタート地点と似た場所に設定されていたための発言であった。, また、タイキシャトルがマイル以下のレースしか出走しなかったことについて、藤沢が頑なに距離適性にこだわったためということが一般的な解釈になっているが、藤沢はタイキシャトルについて「世間ではマイラーと言われていますが、2000mまでなら十分こなせたと思いますよ。まあ、ベストはマイルなんでしょうけど、“絶対能力は距離適性を凌駕する”と言われているように、2400mはオーバーでしょうが、2000mまでなら超一流だったはず。もし、今、シャトルを預かっていたなら、迷うことなく秋の天皇賞に出していたでしょう。というか、秋の最大目標をそこに置いていたはずです。しかし、当時は“外国産馬”という縛りがあって、出走自体が叶わぬ夢でした」と反論している。[15], 藤沢は1998年の毎日王冠を使いたかったとも発言している。このレースを制したのはサイレンススズカだったが、同馬とは1997年のマイルチャンピオンシップにて生涯1度だけ対戦があったが、本格化前のサイレンススズカは桜花賞馬キョウエイマーチの逃げについて行けず15着に終わり、名勝負とは程遠い結果となった。, 好位で先行しつつ、最後の直線でさらに引き離すレースが特徴で、1997年、98年のマイルチャンピオンシップや1998年の安田記念など、先行しながら上がり最速を記録しているレースもある。また、どんなコースや馬場状態になっても安定して実力を発揮することができる強さがある。, タイキシャトルの蹄は非常に脆く、かつ水分を多量に含んでいた。そのため厩舎スタッフは蹄の状態の管理に常に気を払っていた。1997年のスプリンターズステークス優勝後は蹄の状態が悪化し、引退の危険性もあった。また、同馬は栗毛であるが、タテガミ、尻尾が金色の尾花栗毛である。, 調教師の藤沢によると、デビュー当時のタイキシャトルはその素質こそ誰も疑うことはなかったが、誰でも御せるような単純な馬ではなかったという。慎重すぎる性格のせいでゲート試験に2度も落ちており、ファンがゴール前でまき散らす外れ馬券の紙吹雪に気を取られてしまうような細かい面をもっていた。また、キャリアが浅い時期には出ムチを入れなければ走らないこともあった。その後、キャリアを重ねる中で陣営の努力により馬が競馬を覚え、素質を開花させていった。[16], 引退後は種牡馬となり、イーストスタッドとアロースタッドを2年おきに移動する国内シャトルの形態で繋養されている。, 初年度産駒のウインクリューガーが2003年にNHKマイルカップを9番人気の低評価を覆して優勝、2005年には1年以上勝ち星のなかったメイショウボーラーがダート重賞3連勝でフェブラリーステークスに優勝するなど芝・ダートを問わずマイル以下の距離で活躍馬を輩出している。名前を挙げた2頭は、共に後継として種牡馬入りしている。, 2006年の種付けシーズンの前に右目を負傷して失明の危機に陥ったが、手術を受け視力は回復した。, 2017年をもって種牡馬を引退。11月1日、特定非営利法人引退馬協会に譲渡。同会所有のフォスターホースとしてイーストスタッドに預託される[17][18]。, 2018年11月29日、イーストスタッドより同牧場で繋養されていたメイショウドトウとともに北海道日高町のヴェルサイユファームへ移動した。, 2019年1月14日にはメイショウドトウとともに去勢手術を受け、両馬とも無事に成功した。, 2019年9月15日、ヴェルサイユファームで繁養されていた本馬のたてがみが何者かに切られていたのを手入れをしていた厩務員が発見した。同牧場は北海道警門別署に被害届を提出。署は器物損壊事件として捜査している。同じ牧場で繁養されていたローズキングダムも被害を受けた。被害前日は2頭とも日中放牧されていたということで、その間に悪質な競馬ファンにたてがみを切り取られたと見られている[19]。, クモハタ - セントライト - クリフジ - トキツカゼ - トサミドリ - トキノミノル - メイヂヒカリ - ハクチカラ - セイユウ - コダマ - シンザン - スピードシンボリ - タケシバオー - グランドマーチス - ハイセイコー - トウショウボーイ - テンポイント - マルゼンスキー - ミスターシービー - シンボリルドルフ - メジロラモーヌ - オグリキャップ - メジロマックイーン - トウカイテイオー - ナリタブライアン - タイキシャトル - エルコンドルパサー - テイエムオペラオー - ディープインパクト - ウオッカ - オルフェーヴル - ジェンティルドンナ - ロードカナロア - キタサンブラック, 国際競走指定前: