創業1884年 テーラーヒライワ 代表 平岩一郎 氏 インタビュー


日本人がビジネスでスーツを着るようになったのは、いつ頃からでしょうか。
定かではありませんが、明治維新の時代に急速に欧米化がすすんでいった頃ではないかとおもいます。

そんな時代からオーダースーツを提供し続け、
業界ではヒライワ式といった独自の製法で一線を画し、
代々に渡って数々の賞を受賞、国内外で高く評価されるお店があります。

今回は明治時代、1884年に創業し4代にわたり100年を超す歴史をもつ大阪の老舗。
テーラーヒライワ代表 平岩一郎 氏より代々培われたスーツ製法への思いを聞いてきました。

【エクス編集員】
長い歴史をもつテーラーヒライワですが、まだまだ和装も多かった明治時代に
オーダースーツを提供するきっかけとなった事は何ですか。

【平岩氏】
伝え聞いたことでしか話せないのですが、
明治時代の創業当時に徳川家の重臣だった家系ということもあり初代の平岩音吉が
ある程度の年齢になった時に、代々の習わしで、お寺を継がなければければならなかったんです。
ところが初代がそれを嫌がりまして、飛び出したらしいんです。(笑)

そこで明治維新の最中、当時最も斬新でハイカラな洋服店をということで、開業に至ったんです。
最初は横浜で修業し、大阪三越の初代の裁断士などを経て独立し、商売を始めました。
おそらく明治から大正にかけての頃だと思われます。
また二代目、隆太郎は英・独・仏のビスポーク・アカデミーで修了課程を修め帰国。
大阪市北区でボーイスカウトの代表を務めていたということもあり、
ウインザー公来日時に通訳を努め、日英親善に尽くしたり、
ラジオで当時のファッションについて色々、紹介していたようです。
その他にもドイツのヘンゼル社のバス毛芯を、日本に初めて輸入する等、尽力してきておりましたが、
第二次大戦後これからという時に空襲で亡くなりました。
写真などもあったそうですが、全て空襲で焼失したようです。

【エクス編集員】
初代が創業した当時のスーツはどういったスーツでしたか?
現代のものと大きな違いは何ですか?

【平岩氏】
現代の製法は、色々な流行を経て創業当時のものにもどりつつあると思います。
大きく分けて、スーツの製法にはイギリス式とイタリア式に別れるのですが、
英国式というベースのしっかりした作りの製法がまずあって、
それをイタリア人が学んだ上でイタリア式の製法が生まれ日本に入ってきたんです。
その頃のものにまた近づいていっているように思います。

【エクス編集員】
ヒライワ式と呼ばれ、業界では有名ですが、通常の製法との決定的な違いは何ですか?

【平岩氏】
服というのは、かっこいいと着具合が悪い。着具合が楽だとシルエットが悪い。
ということになるのですが、その両方をバランスよく調整し、
シルエットが良く、着心地がいいということを探求します。
シルエットを着具合に反映させようとすると、イタリア式の製法というのはとても参考になるんです。
そして型崩れがしないカチッとした品質を表現するには英国式の製法を吸収しなければならないんです。

その両方の製法を配合し、なおかつ日本人の体型と気質に合わせたものにしていく。
それがヒライワ式と言っていただいている、うちのやり方です。

スーツも需要と共に大量生産化がすすんできて、その流れで平たく言うと、
製法において手を抜いてきた過程が業界内にもあって、これが取り戻せない技術なんですが、
そういった部分をずっと守り続けて、格調が高く日本人に馴染むものを提供してきた先代の父には感謝しています。

【エクス編集員】
格調の高さとはなんだと思われますか?

【平岩氏】
これは父の代から言ってきていることですが、我々からすると
格調高いというのは「口でもない目でもない服がものを言う」ということだと思うんです。

とあるお客様があるパーティーに出席されたのですが、その会場にヒライワのスーツを着ていくと、
通常は重役しか通されないような別室に案内されたという話を聞きました。
我々の仕事で、お客様のそういった部分を引き出すことができていれば嬉しいことです。

【エクス編集員】
近年、世に出回っているスーツにどのような感想をお持ちですか?

【平岩氏】
最近よく目にするスーツは見た目も良く着具合もいいですよね。
それは仕立てる生地自体に科学繊維が入り伸縮性があるため、
体に馴染んでいるということがあるのですが、
我々は天然繊維だけで、見た目も良く着具合も良いということを表現しないとテーラーとしての
値打ちがないので、それに近づける探究心を常にもっています。

スーツもバブル時代に大量消費の流れがきたと思うのですが、
その時に既製品の服で求められていたのが
"ハンガーに着せて綺麗な服、マネキンに着せて綺麗な服"だったんです。
しかし、そういう服は人が着ると窮屈なんです。
我々の服は、ハンガーにかけた時点ではさほど綺麗ではないですが、
着た時点で、かっこよく見えて着具合も良いものです。

【エクス編集員】
テーラーとして活動されてきて、
今までで一番苦しかったこと、一番嬉しかったことは何ですか?

【平岩氏】
私は中学時代から職場へ出入りして、先代の見よう見まねでやってきましたが、
キャリアを積んでも、なかなか先代の後継者として
お客様から認めてもらえないというのが苦しかったですね。

ただ、40歳くらいになった頃に3人ほどのお客様にようやく認めてもらえるようになり、
それが嬉しくて自信にもなりました。

常に探究心を忘れずやってきていますが、
目の肥えた厳しいお客様が、先代の前で「もう息子さんに任せてもええんやないか」と
言ってもらえるようになった時は本当に嬉しかったですね。

昨年、父である3代目が亡くなりその葬儀の時に60年来のお客様で、
私の父替わりのような方が「仕事をおとすなよ」と声をかけてくださるのですが、
そういう方の存在が本当にありがたく、
父がいなくなってより一層身にしみるようになりました。

【エクス編集員】
テーラーの仕事の魅力とはどういうところにありますか?

【平岩氏】
テーラーは服を作るのが仕事ですが、お客様との対話が大切で、
そこからどんな服が生まれてくるのだろう・・というプロセスがとても楽しいんです。
そういうところが魅力ですね。

常連のお客様でも難しい注文をする方もいらして、襟を丸くパキッと、してくれと言われる。
お客様の求めているものをしっかりと再現できなければ話にならない。
素材選びから、製造工程まで既製品には絶対真似できない満足感を提供しなければならないんです。

【エクス編集員】
4代目としてのプレッシャーは?

【平岩氏】
昔ながらのことを続け、どう今に活かすか。ということですね。
そこを考えながら、4代目としてやっていかなければなりません。
テーラーというと今の時代では、敷居が高く、近寄りがたいイメージと
服飾関係者においては憧れの職業のような良い意味での、
夢の部分が共存している職業かと思います。

しかし、基本的に地域に根差した店舗で、
御近所の方でちょっとした修理(=釦の付け替えなど)や
クリーニングなどのメンテナンスに関するご質問なども、
最近よく伺う機会が増えてきています。

決して敷居が高いだけの店ではなく、
紳士服・婦人服ともに調製する過程において
実用品としてのオーダースーツを扱うように心がけて、
お客様に理解頂けるよう努力していきたいと思っています。

【エクス編集員】
もしテーラーになってなかったら?

【平岩氏】
彫刻や絵の関係ですかね。
芸大に通っていたのですがゼミの先生に
「お前なら絶対食っていけるから家を継がずに俺の弟子になれ」と言われたんです。
しかし、端から家業を継ぐための力をつけるために芸大に入ったので・・笑
彫刻でデッサンや塑像の製作をやってきたのも、
人の体を把握する力をつけるためのことで、
工芸高校でもデザインの基本を学びましたし、
そこで身につけたことは大いに活かされています。



~取材を終えて~
「口でもない目でもない服がものを言う」
実際に着る服によって、人の内面も影響を受け、
自信に満ち溢れるようなことがあると思います。
着るものによって周りからの目が変わり、周りからの目が変われば、自分の意識が変わる。
そして意識が変われば、行動が変わり、行動が変われば未来が変わるのだと思います。

しかし、それは単純に見栄えだけのことではなく、
「着具合」による部分も大きく、それらを両立させることは
例えば車でいうと、パワフル且つ燃費が良く、
デザインも優れたものを設計することと同じくらい難しいことだと思います。

今回の取材を通して、服は人にとって心のエンジンのようなもので、
大袈裟かもしれませんが、その日一日の心のありかたを決定する大切なものだと感じました。
今後もヒライワ式によって生み出される魔法のような服から目が離せません。

[創業1884年 テーラーヒライワ]